子供の心遣い
家族で大きなスーパーに買い物に出た時の事でした。当時娘は小学生高学年に達したばかり。女の児の好きな、お菓子売り場を何を置いても最初に見て回るのは、子供の定番コースであります。
その例に漏れることなく娘も、込み合っていたそこの売り場が、ようやく空いたのを確認して入りました。子供たちが、煩く声を張り上げるのを嫌い、空くのを待っていたのでした。
■ 棚から商品
通路に入ると、先ほどの子供たちが落としたであろうと思われる商品が棚から崩れ落ちて、あるものは通路の中ほどにまで及んでいたりしました。そこを、そのあと幾人かの大人も通りすがりましたが、誰もそれを跨いで通るだけです。
娘は、駆け寄って落ちている商品を取り上げ、棚を確認しながら元に戻します。
『えーと、これは、ここ』
と言う風に、声を上げながらそこに落ちていた2-3品を棚に戻してから振り返えり、わたしを見てにっこりと笑いました。教えた訳でも、指示した訳でもありませんでしたので、少し意外でしたが、頷いて娘の行為に賛同を示しました。
■ すると
すると、通路の向こう側から、中年の女性店員が娘に近づいて来て、しゃがみこんで頭に手を置いて、
『ありがとう』
とにっこり笑みました。
『うん』
娘は、自分が行った事に褒められるとは思いがけず、戸惑いもあったのでしょう、言葉になりません。
そして、女性店員はわたしにも同じように挨拶をして、通り過ぎて行きました。女性店員は、きっと通路の向こう側の何処から見ていたのでしょう。まったく気が付きませんでしたが。
■ あるべきものはあるべきところに
娘は、通路に落ちているお菓子の商品が、単にそこにある事はあり得ない、あるべきところはそこではない、と感じて棚に戻しただけであったと思います。それは、例えば、家の中にゴミが落ちていたら拾って捨てる、と言うことと同じでありましょう。
あるべきところにあり、無ければならないところにあるということに気が付き処置をする。これが、心遣いというものであろうと思ういます。
物が通路に落ちていても、それを跨いで通る。それは、わたしの仕事ではないし、わたしの物でもないから。
しかし、やっぱりこの人たちでも、ここにあってはならないものだとは認識してるのだと思います。それを、行為につなげるかどうかです。
爾来、わたしは娘に教えられたこのことを、わたし自身も行うようにし、他の違うケースにあっても適用するようにしております。娘も働き始めて4年目、あの頃の気が利く女性になってくれると嬉しいな。