聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

評論家より政治家の方がまし

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画像出典:Wikipedia

 

色んな人が時事問題や社会問題にそれぞれに自分の意見を言えるのは、民主主義の良いところです。しかし、言った言葉にはそれなりの責任が本来は伴う。前言は放言で済まして、外れたらまた違うことを言い出す。個人間同士であればそれも許されることです。

 

しかし、世に知れている評論家とかユーチューバー、弁護士、芸能人などは、テレビやYouTubeという多くの国民が見ているかも知れない公での発言となると、事情は違う筈です。それは、彼らの発言が多くの人に少なからぬ影響を与えるからです。

 

■ それも職業

しかし、公の場で公言したことがたとえ大きく外れても、彼らは殆どの場合、何ら謝罪もしなければ、訂正や弁明もしません。ましてや責任を取って職を辞するということもありません。そういう考えは元より微塵もありません。

 

『あ、わたしの言ったことがまた、外れちゃった』

とか

『間違った発言だった』

ということがあっても、彼らは殆どの場合で何もしません。ただ、「カエルの面に小便」で済ますのです。勿論、公共の場で彼らが言った言葉をどれだけの人が賛同したかは不明ですが。

 

それはまた、

「いちいち責任を取っていたら、仕事にならない」からであります。それが、例えば、明日の株式市場がどうなるかの予想を言うのであれば、外れたとしても仕方がないかも知れない。単なる予想だし、その予想を信じる信じないは本人が決めることが出来る。

 

■ しかし、

しかし、時事問題や社会問題となれば、同じではありません。例えば、

『政府のコロナ対策は、ここが間違っている。東京の1日の感染者が900人を超えた時点で、緊急事態宣言を出すべきだった。それを今頃になって検討し始めても遅い』

てな具合です。

 

確かに、その指摘は10日程前であったら正鵠を得ていたかも知れない。評論家は、断固としていう言葉は大抵が

『あの時、あれをしておくべきだったのに、しなかった』

です。それなら、その「東京の感染者が900人を超えた時点」でなぜ大々的に抗議行動を起こさなかったのか?要望行動を起こさなかったのか?

 

要するに、彼らの批判は、誰かの失敗が確定した時に批判するのですから、いわば後出しで勝を得る、じゃんけんのようなものです。そして、自らが予想や対策を発表したものが、外れたり重大な間違いがあっても、そのままです。

 

■ 政治家の方がまし

政治家もいい加減なことを言う人も居ますが、それらは結局自分の責任問題や進退問題にいずれは発展します。抵抗むなしく地位を辞任したり、謝罪に追い込まれます。

それは、彼らが巷の評論家より優れている訳ではないけれども、責任を取る分については、政治家の方がはるかにましです。

 

■ 誰も

誰も、これから来る目の前から先の未来のことは分からないのです。こうしておけばよかったは、こうしなければよかったのかも知れないのです。