スポーツの中で、最も過酷なものは「ボクシング」です。日本風にいうと「拳闘」ですね。相手と拳で殴り合いで勝ち負けを決めます。ルールがあり、レフリーもいますので、喧嘩になることはありませんが、それに近い出来事はたまにあります。
若い人の中には、力がみなぎっている人がいて、喧嘩でそれをを捌け口にしてしまう人は少なからずいます。そいう人はどんな喧嘩で負けたくないとか、誰かを無性に殴りたい衝動を持つこともあると思います。
そいうのに合法的に行えるボクサーになろうとする人は結構います。
■ 試合
ボクシングでは何もしないでいると、殴られて悪くするとダウンで負けてしまいます。常に動き常に攻撃をしなければ勝利はあり得ません。逃げ回って勝というスポーツ自体におあり得ませんから。まして、拳闘です。喧嘩なら逃げるが勝と言えるでしょうがそうも行きません。勝つためには試合で相手を叩きのめすしかありません。
■ タイトル
チャンピオンベルトを懸けてのボクシングは、YouTubeでいくつもの試合を見ることが出来ます。
やっぱり、素質が無いと出来ないスポーツですね。素質には、人以上の頑張りも含まれていますし、闘争心も必要です。
わたしのような人間は、とても無理ですが、強い日本人ボクサーがいると応援したくなります。そして、相手に打ち勝つとその選手同様に何かすっとします。
パンパンに晴れ上がった目の周りや、擦傷で血がしたたる顔で、勝利の拳を上げるのを見ると、かっこいいと思ってしまう。けれども、負けた相手も最後まで戦ったのも、賞賛できます。
■ ボクシングの本
中学生の頃に、本屋さんでボクシングの練習の本を買って来て、裏の人気のない畑で練習していました。コーチはその本だけでしたが。ボクシングを本気でやろうと思った訳ではありませんでした。
小柄なわたしが、わたしより大きな人に負けたくないという喧嘩を想定しての事でした。そのうち、大病をして2年も入院して結局それ仕舞いでした。
それ以降の人生で誰かに、殴られたことは一度もないし、殴ったこともありません。ただ、殴られそうになったことが、一度あります。
ここからはボクシングから少し外れます。
■ 可愛い女の子
その子は、わたしが20歳代の前半の頃に、駅前の本屋さんに居ました。おぼろげに顔は浮かぶのですが、細部を想いうかべようすると、全体までもが大きくぼやけてしまいます。
目鼻立ちの整った顔で笑顔が可愛かった様に思えるのですが、その後の人生においてアイドルの若い女性や実際に付き合ったした女性の顔が入り交じって、実際のところあやふやです。しかし、兎も角可愛かったのでしょう、多分。
わたしは、その子に紙切れを渡して、仕事が終わったら近くの喫茶店でお茶でもしましょうと、勝手に決めてその喫茶店に行ったら、彼女の変わりに大きな男がやって来て、
『○〇はおるか!』
と喫茶店の入り口に立って叫びました。わたしは、恐ろしさに震えていました。それでも何食わぬ顔で店をでたところで、
『お前が〇〇か!』
と凄い形相でわたしをにらみつけます。わたしは目前に迫った大男の顔を見ると殴られるに違いないと思いましたが、その気配はありません。当然でしょう。わたしが、紙きれを渡した男だとは確認できていないのですから。
『じゃあ』
と横に抜けて、一目散に夜道を1キロくらい逃げました。
後ろから、
『こらー』
と言う声がしましたが、追いかけて来ませんでした。たかだか、紙きれ一枚で顔を殴られていたら、幾つ命があっても足りませんから。
■ 彼女はいなくなった
その後、その本屋さんには何度も行きましたが、彼女の姿はありませんでした。かわいい子を見ると、誰彼無しに声を掛けていたわたしは、ちょっとだけ反省しました。
街あわせは、いざという時には裏口から逃げれるようにした店にするべきだと。
懲りてない、、、!