聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

給料袋があった頃

画像出典:アゴ

お札(さつ)は、常に15枚しか月初めに引き出しません。それでは生活は出来ないではないか?と思われるかも知れない。

勿論、その15万円でひと月が生活費が賄えているわけではありません。

即ち、その他は銀行引き落としで済ませているのです。これは大変便利です。

 

■ お金の出入り

通帳に入って来たお金も、そこから引き落とされるお金も、またATMから引き出したそれも何ら違いはありません。

 

しかしながら、帳面面(づら)だけで、その実物をついぞ見ないままに、入って来て出て行くのは、何ともしっくりきません。と言うか、お金の重みやお札の厚み、匂いなどが感じられることが出来ないことに不満があるのです。

「汝ら、いづくより来たりて、いづこへか去らん」

てな風に感情は複雑ですが、帳面面(づら)決済を便利に負けて、それで済ましております

 

■ 給料袋での支給

若い頃は、給料袋に給料は入れて頂くものと決まっておりました。お札だけでなく端数の小銭も入っているので、想定以上の重さになったのを、喜んだり、開けて見て残念がったりしたものです。

早い話が重くなったのはその小銭のせいで、別に給料が増えた訳ではありませんでした。

 

その頃には、貰った給料を全部持ち歩いている友人も少なくありませんでした。そして給料日には飲みに誘われたりすることもありました。ある友人の行きつけは個人の居酒屋で、酒のあての外に、定食ランチの様な食事も作ってくれたりして、独り者の友人には非常にありがたい存在であったようです。

 

友人は、給料日にその行きつけの店に入ると

『おっちゃん、前月付けをはらうから』

といい、おっちゃんも

『おー、ありがとね。今月はこれだけだよ』

と紙に内訳を書いた請求書をすかさず見せます。用意してあったと見えました。そして、友人は

『ありがとな。ビール二つ頂戴』

など言いながら、後ろポケットに二つ折りにした全支給額入りの給料袋から、ヨレヨレのお札を渡したものです。「ありがとな」は付けで飲ませて貰って来たことのお礼の言葉です。

その頃のお札は、今と違って千円札でも一万円札でも新札という訳ではなく、使い回して古びたものが殆どでした。蛇足ながら今は、感染症予防から、お札がヨレヨレは殆ど無くなりましたね。

 

友人の飲食の付け代金を受け取りながら、それが無事に回収できたおっちゃんの顔は大いにほころんで、突き出しなどをサービスして呉れたりしたものです。

 

このようにして、友人の一か月は回転しているのだなと、お金の出入りで感じられたものです。わたしも、一人の時はこの友人とさして変わりはありませんでした。

 

■ 天引き預金はしていた

わたしも天引き預金をしていました。月に2万円でしたでしょうか、貰った給料は持ち歩くことは無かったものの、一人住まいの部屋の中に袋ごと置いておりました。誰かがわたしの部屋に入って、給料袋ごと持って行ってしまわないか?などとは寸分も思い及んだことはありません。

 

何しろ、同情される位に殺風景で古びており、今で言うワンルームの和室でしたので。仮に入った泥棒がいたとしても、同情してお金を置いて言って呉れることだって有り得るほどでした。

 

テレビもラジオもない生活でした。古い貰ったテレビは電波が悪くてあまり映らず、捨ててしまいました。ラジオは買えなかったので、本ばかりを読んで暮らしていました。それでも不思議に不便は特に感じなかったですね。

 

給料袋は凡そ二十日を過ぎる頃には二、三千円程度にしか残らず、二十五日の給料日までは、「桜飯(さくらめし)」とか、丸っぽのキャベツにマヨネーズをかけて食べたりして、食いつないでおりました。桜飯は今の若い人は知らないかもしれませんね。

炊くコメに醤油を入れるだけの、これ以上簡略をしようもないほどの貧しいご飯でした。

 

程なく給料袋は空になり、立ったわたしの手から離すとℤ型に左右上下に揺らいで床に落ちたものです。給料袋での給料には、刻々と減って行くお金との生活が実感出来ていた気がします。

今でも給料は給料袋で貰ったらいいなと思うこともあります。あの頃は、世帯がある人は

『現金輸送車、本日は家まで直行します』

など言って、独身のわたし達を羨ましがらせたものです。