聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

「宴もたけなわではございますが」

画像出典:毎日新聞



コロナウィルスが流行る前には、建築の関係の仕事をしているわたしは、出入りの建設現場での忘年会に招かれることはしばしばでした。それが嫌いではない私なので、

『喜んで参加させていただきます』

 

と答えることにしていました。非情(字の間違いではありません)なる薄給ゆえの不参加であったかも知れません。しかし、わたしがいたどの現場でも、会費の徴収は一度も無かったのです。

 

近年は、工事事務所のトップが馴染みがあるようで毎年のように、大阪市内のこじんまりとしたフグ料理専門店を会場としていました。特別に有名でもなく、チェーン店でも大きくも小さくもない店で、二階建ての一部屋50名程度が入れる畳敷きの大部屋一つ切り。

 

そこを丈の低い衝立(ついたて)で柔軟に仕切って、何組も同時に商っていました。当忘年会は、このフロアー全部を貸し切って行われたものです。わたしは末席におり、その対の位置に事務所トップのそばというのは、いつもの通りです。そして、彼の周りには工事事務所の数少ないそう若くない女性が固めると言った塩梅です。

 

忘年会は最初に工事事務所トップの簡単に挨拶から始まります。それを待っていたかのように立ち上がったわたしたちの足元をかいくぐるように店の従業員による酒類が一斉に運ばれて来くるのでした。トップのありきたりの話は聞かれていません。

 

飲み物を目の前にしては、犬に「待て!」を押し付けるようなものなので。

『カンパイ!』

です。宴会では挨拶は短い程喜ばれるもの。

 

料理はフグのコース物で、最初の一品が出てくると、暫くは誰もが食べる用意まではするものの、なかなか手を付けません。ビールなどを飲みながら、胡坐(あぐら)をかいた並びの両側の膳を見たり、向かい側の席に着いた人の様子を見ているばかり。

そこで誰かが

『頂きます。お、これはうまい!』

とか言って視線を一斉に浴びる。その様子に変化がなければ、箸をつける。要するに誰かが毒味するのを待っていたのです。料理は、大皿と個別の皿があって、すきっ腹が手伝ってあっという間に誰もが平らげてしまう。

 

それから、ビールや冷酒、焼酎などを入り乱れて注文し、どんどんと運びこまれてくる。それを、アーとか、ヒーとか言って飲む声がする。しばらくすると、

『誰それくん。一杯どう?』

『あーどうも』

と受け、返杯したりしているうちに、席を離れて誰かの席近くに行ってしまいます。代わりに誰かが来て、無暗とビールを勧めて来る。

『どうもいつもお世話になっております』

『へえ』

 

見覚えはある人だが、誰だかは分からない。が、取り敢えず

『あ、こちこそどうも、どうも』

と返す。相手もわたしを良くは知らないから、返杯すると

又、どこかに糸の切れた凧のようにフワッといなくなる。見ると、何席か向うでまたビールを勧めている。

 

あちこちに気の合った者同士のグループが出来て、口角泡飛ばす仕事の議論をするもの、何だか下ネタで笑いの中心にいるものの周りでヘラヘラ笑っているものなど盛り上がってくる。

 

■ 宴もたけなわではございますが

やっと、砕けた話に花が咲いた頃を見計らったかのように、幹事が立ち上がっていう。

宴もたけなわではございますが、、、

と言って会場を見回しますと、会場も幹事の声に反応して会話を止める。

幹事は一息入れて

『ここで、中締めとさせていただきたいと思います。まだ若干の予約時間もございますので、引き続きご談笑下さい」と告げる。

 

しかし、誰もそれを真(ま)には受けない。残された時間などほんの10分程なのだから。

その言葉は、早い話が「会は終了ですよ」という退出の督促にほかならないからです。従って、その言葉が終わる間もなく、

『二次会や、二次会。どこ行く?』

と、まだ飲み足りない者たちがそそくさと立ち上がる。

『京極さん(わたしのこと)は京都やからあかんな』

穿った見方をすれば、遠慮しろだったかも知れません。

こう先制されて、お言葉に甘えることが多かった。

 

わたしは工事事務所のトップと幹事長には丁重にお礼を言うのを忘れません。それは空く日の朝見かけた時も同じです。