聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

アルバムの中の彼女

画像出典:いらすとや



今わたしの手元に薄い中学時代の卒業アルバムがある。それを開くと懐かしい。わたしにもこんな時代があったのだ、という思いが、それはしかし帰ることのない過去の事であるという二つの事実とが入り乱れて胸が押さえ付けられたような息苦しさを覚える。それは、実に切ない。

 

その心境は若山牧水

「かたはらに 秋ぐさの花かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」

歌の気持ちに似ている。古城を前にして詠んだ歌だが、それには「詫び」の世界があると思うから。

 

■ アルバムの中の彼女

そして、クラスの集合写真の中の最後列にいる一人の女性徒を見る時、胸は高鳴る。ひそかに心寄せた色白で美しい女性徒であった。うりざねのふくよかな顔立ちに、はっきりとした目鼻立ち。体を少しひねって顔を正面に向けて他の女性徒と共にすっくと立って映っている。

 

一方で、わたしは最前列で陽の光に顔をしかめて映っている。なんてこった。

 

殆ど会話をした記憶はない。登下校で一緒に成ることも無いままに、未熟なわたしには言い寄る術がなかった。ただ遠くに燦然と輝いている憧れの人のまま時は過ぎた。

今のわたしがあの頃のわたしであったら、或いはそれ程の遠さを感じず近づけたであろうに。

 

今は、どうしているであろうか。

「花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」か。

それは知る由もないが、知らない方が良いであろう。恐らくはあった時の幻滅を感じずに済むだろうから。