親戚に筋ジストロフィー症の子を持つ姪がいる。
姪は親として、このような不自由な子を産んだことを、子に対して申し訳なく思っているのを感じる。その心情がよく伝わってくる。
いつも子に引け目を感じるから、その子にとことん親としての厳しい態度が取れないのであろうか、まるで下僕のような甲斐甲斐しい世話をする。それはどんなにか辛いであろうと傍からは見える。しかし、親としては、このためにしてやることは少しも辛くないのかも知れない。
親は、子が生まれてくる時、五体満足なら他に何も望まない、と思うものである。そしてそうであったなら、そんな謙虚な気持ちなどすっかり忘れてしまう。あれを望みこれに夢を載せたりする。勝手なものだ。
■ 親は子の為に
親は子の為に犠牲になることを厭わない。姪の子に対する献身はわたしの目頭を熱くする。それはまさしく献身であろうとおもう。子が生きている間は長くない。その僅かな間に普通の子にするであろう総てを注ぎ込もうとしているのを感じる。
親は、それが出来るのだ。
親は、もしこの子が健常者になれるのなら身を投げ出しても良いと、思う。
だが、子は親のそのような思いを汲んで、親の為に死を選ぶことは叶わない。それは、順序が違う。子は、親の為に犠牲になることは出来ない。してはならない。
子は、親を踏み台にして生き延びていくべきものだから。
姪にもいつか遠くない将来にこの子との別れが来るだろう。
わたしは、それを思うと泣けてくる。