聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

人生に特別な日の出費は不要

 

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画像出典:オマツリJapan



テレビをはじめとするメディアや日本古来のしきたりなどで、正月や盆など年中行事は一つの特別な一日や数日間であったりします。日本には、毎月そういう行事があるほか、外国から取り入れた行事であるバレンタインデーにホワイトデー、クリスマスなどもあります。

それらをいちいち、合わせて祝っていた日にはお金がいくらあっても足りないというものです。

 

また、

『頑張った自分にご褒美』

などという言葉が流行して、特別な日としてお金を惜しまず使うということもよく聞きます。しかし、このような特別な日を設けると、お金はその度に想定外に出て行って、次の平月にしわ寄せが来たり、解消に時間がかかったりするものです。そして、いつまで経ってもお金が手元に残らないということになりかねません。

 

たとえ正月であっても、時間は途切れなく続き大晦日が一夜明ければ元旦という日になると言うだけで、時の流れに格別に何かの違いもない。正月だからどうということは本来ありません。まして、昔の人の骨休めの日としての祭日は、現在ではそれ程必要でもありません。

 

古き良き伝統は無論絶やすことなく続けて行くべきではありますが、それはそれで質素でつつましいものの筈です。今のように、メディアや企業のお金儲けのための手段のように煽られて、その口車に乗って散財してしまう事には同意できません。

 

 

■ 自己責任

それらに投じた自分の財産(主に稼ぎであるサラリー)がたとえ大きく損なわれても、誰も責任を取ってくれる訳ではありません。あくまで、自らが選び判断を下した結果の散財であるのです。

 

たまの事だからという、出費は止めた方が良いのです。それをやったところで大きな変化が人生に出来る訳ではありません。出て行ったお金はもう戻ることはありません。確かに、出費に見合うサービスや商品が手元に残るかも知れませんが、大抵がさして役に立たないものであったり、使われないままで埃ものとなるのが落ちです。

 

 

■ 老後は直ぐに来る

今、若いという人でもすぐに中年は来ますし、結婚もして子にもお金はかかるようになります。そうい時のためにお金を残すならむしろ若い時の方が良いのです。子には成長に合わせて出費も増えて、大学に至ると4年間で少なくとも1200万円はいるでしょう。

それを馬車馬のように働いて工面が出来たとして、その後にはセミの抜け殻のように何もないまま、老後に落ちるのはいかにも危うい、と言わねばなりません。

 

そこまでして育てた子も、親に仕送り出来る程の稼ぎでもないのが普通です。子が親を思わないことは無論ありませんが、立っているのが精いっぱいである人が倒れた人を助けようとするなら、自身も倒れてしまう。助けたくとも助けられないのです。

 

ここは、子にそんな苦労を掛けまいと親も老後を生きるのに必死。お金はカツカツでも、耐え忍ばねばなりません。人と同じように、ごく普通の生活を送ることは、結局のところ、老後が豊かであり得ないのです。

 

他人は他人、内はうちで簡略した生活を通して、老後に始まる次の人生を出来る限り豊かに穏やかに過ごせるようにしたいものです。