わたしがいつか天国に召された時、一番先に母の元に駆けつけて懺悔したい。
母は、生前に
『わしらが動けなくなったら、面倒は見てくれるんだろ?』
と、ある時わたしの顔をまじまじと見据えて問うたことがあった。その時のわたしはまだ三十歳代前半の事で、深くそのことについて考えた事はなかった。というより、その限りなく面倒であろうことを考えたくなかった。
しかし、母に詰問されると、わたしは自信が無かったので、色よい返事が出来なかった。その頃の、わたし達の間で知る限り、そのような事を正しく考えている人間をわたしは知らなかったし、友人も無かった。
しかし、親を子が面倒見ることは、その頃のわたし達の世代では極あたりまえだった様に思う。しかし、わたしは男ばかり3人兄弟の次男であり、わたしがそういう立場になる事を予期しても居なかった。
しかるに、母はわたしに問うたのである。
わたしは、母を大切に思い何かにつけて優しく接しようとつとめていたように思う。そこから母はわたしに期待を抱いていたのかも知れなかった。
わたしは、自分の将来が混とんとしており、収入も決して良くなかったばかりか結婚もしていなかったので、良い返事が出来ようも無かった。
『そうか、わしらは生きられるだけ生きて、野垂れ死ぬしかないのんか?なあ、お父ちゃん』
その言葉を発した時の母の、無残な失望の色と吐き捨てるような言葉ををわたしは忘れることが出来ない。そして、母が無くなって相当の年月が経つにつれて、わたしは後悔に苛まれる。
「どうして、あの時たとえ嘘でも『勿論、放って置くなんてことはないから、心配しないで』と言えなかったのか」
という自らの裡から湧き出て来るわたしの愚かさを責める声がある。
多分、わたしが天国に行って、わたしの弁明を聞いてくれたなら、母は
『わかったよ』
と言って笑って許してくれるでしょうか。
どうもわたしには自信がない。