聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

子供の頃の村の映画会

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公民館のイメージです。記事そのものとは関係ありません

画像出典:mihoshi55

 

わたしたちの村に年に一度は映画会が開かれることが、子供の頃にはありました。それは、盆も終わり頃のことで、娯楽のない村にあって、わたしたちの大変な喜びの一つでした。無論、無料で村の若手の人たちが、どこからか借りて来たのでしょうが、子供のわたしの知る由もありませんでした。

 

■ 会場は公民館

映画会の会場は、公民館で、凡そ50-60人は入れたでしょうか。しかし、この日は殆どの村人が押し掛けるため、暑い中を寿司詰め状態。午後7時からの上映にも拘わらず、早い人は5時頃のまだ外が明るいうちから入場する人も少なくありませんでした。良い場所を確保したいが為であります。

 

会場は都会のように暗幕を張る必要もありませんでした。立ち見が出来るように、雨戸は取り外しされていましたが、寒村であるため外は真っ暗で、そのような仕掛けは無用だったのです。

 

■ 映画の上映は村人が行う

映画の上映は、専門家が来る訳ではありません。村の若い人が、配給会社から指南を受けて、見様見真似で上映するのです。

 

■ よくフィルム切れる

相当な回数の上映を重ねてきた、いわば廃棄寸前の使い古したフィルムですので、正面の白い木綿の布張りの映写画面に映し出された映像は、常に無数の擦り傷が映写され、いわゆる雨降りのように全編に渡り画質を落します。雨降りでも土砂降りと言ってもよかった。

 

そして、傷んだフィルムはよく切れました。パツンという音がして、つづいて、ぱらぱらと巻き取りリールに切れたフイルムの空回りする音がでます。上映する若い人が、

『あ、切れた。電気点けて』

 という塩梅で、せっかく盛り上がろうとしているところに、冷や水を浴び去られて、恨めし気に村人が映写機の方を見つめます。

『あ、直ぐに治りますから』

と言って、セロテープで切れた個所を繋ぎ合わせ、消灯を指示して上映再開です。

 

■ 映画の最高潮場面では

メインの映画は大抵が、チャンバラもので、正義役の登場人物の一人が危機に陥る場面が必ずあり、そこへ主人公たる高名な俳優のふんする侍が駆けつけるというくだりも、盛り込まれております。

 

そういう場面になり、主人公が救出に馬を飛ばすシーンになりますと、映画を見ている村人たちの中から、期せずして

『早(はよ)う 早(はよ)う』

という声が上がりました。「早う」とは、「早く行ってあげて!」という励ましというか、止むに止まれない声援であります。今から思い返すと、ひとり笑いをしてしまうのですが、当時は殆どの人が声を上げておりました。

 

こういうところでも、容赦なくフイルムは切れたりして、悲鳴に近いため息がもれたものです。

 

■ 主人公の手落ち

その映画は、わたしたちの希望どおりの展開で終了しました。即ち、危機にあった正義の味方の危ういところを駈けつけて救出し「めでたし、めでたし」という展開です。それまで、水も漏らさぬ主人公行動が、何故このような敵方の奸計(かんけい=悪だくみ)にもろくも陥れられたかは、不明ではあります。

 

映画にも見どころがなければならないからだ、としか言いようがありませんよね。

 

大抵、事が起きる前に手を打てたであろうに、と思えるところがなければならないからでありましょう。

 

■ 映画会が終わる

映画会は、このようにチャンバラものの大作で娯楽ものを中心に計3本程度が上映されました。最初の一本目は、白黒のニュース映画で、いつのニュースかも知れない位に古い情報で、それならわたしもテレビで知っていた、と言えるほどの物でありましたが、まあ、映画だから古いのは致し方ありません。

 

そのほかに、子供向けのアニメもありましたが、どんな内容であったか、まるで覚えていません。

 

映画が終わり、みんながいろいろなシーンを語り合いながら三々五々家に帰りついたころには、10時前の事でした。それから幾日かのしばらくは、映画の名残の火種があって、村人やわたしたち子どもの間でも、映画のシーンの会話に登らぬ日はありませんでした。

 

わたしは、このころ将来は映画監督になろうと決心したものです。しかし、そうはなれず、建築工事現場の「現場監督」には成れました。