妻のふとした後ろ姿や仕草に、一瞬ではありますが亡き母の面影を見ることがこの頃多くなりました。わたしは、懐かしい気もちとぎょっとする驚きが混じった名状し難い感情に襲われる。
妻が若い時には、決して見ることもなかったことです。
わたしは、その一瞬に奇妙な混乱をして、本当に母がそこにいるのではないかと思ったりします。もとよりそんな筈はありません。一体何に母の姿を見たのであろうか。
母は、痩せていて、顔中に大きな深い皺を刻んで、半生の厳しい人生を感じさせるに十分な人でした。また、晩年の丸くなった背に、人の一生の悲哀を感じて、無残に送ってきた父との人生を思い浮かべることが多かった。
■ 妻は
妻は母とは違い、太っていて大柄です。後ろ姿にほとんど相似するところはないと断言してもいい位なのになのに、何というかちょっとして仕草や遠目に見る動きに、母の面影は現れていることがあるのです。それは実に表現し難い。瞬時の出来事であります。
そして、妻がかく見える程に老いてきたと自覚するときでもあります。
母は、父とはまるで仲睦まじくはなかった。権高で短気な父は事あるごとに母を殴るような人でありました。父にはそうするだけの理由はあったのかも知れない。しかし、母とどうであろうとそのような手を出して欲しくはなかった。
わたしが父に抗議してやろうかとある時、言ったことがあります。
『後が怖いからいい』
母は、力なく笑ったりした。
『お前の嫁にはそのようなことをしないでほしい。わたしの分までも、大切にしてあげてほしい。』
それは守りたい。
その母の面影を妻に見る時、母へはなし得なかった優しい助けを不憫に思う。