聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

登校風景

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画像出典:日立市櫛形小学校
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わたしの家の前の道路は住宅街に有り、小中学生の通学路になっていて、朝は7時45分頃から8時15分頃までに大方が通る。一番多いのは中央値時間の8時で、コロナ禍であっても相当に喧(かまびす)しい。

それは遠くから次第にわたしの家の前に迫り、嵐のような喧噪を振り撒いて、そして遠ざかる。この30分の範疇にあれば、8時40分の始業には間にあう。

 

小中全学年が入り乱れて通過する混雑の様子を見ると、この地域だけは、少子化は無縁のように思える。

 

この時間帯以外にも無論通学する小中学生はいる。

7時過ぎから7時45分の間にも例えば陸上の朝の練習がある子は早出する。また、8時15分を過ぎても、遅れてくる子もいるのだが、この子たちは、諦めているのか始業時間に間に合うという確固たる自信があるのか、足取りは妙に落ち着いている。

 

落ち着いているというより、学校という目的地に向かう事への億劫心があって、足取りが重いと言った方がいいかも知れない。

 

もう8時20分を過ぎているのに、わたしの家の前で一しきりふざけて、だらだらと歩いていく。少しでも登校時間を遅らせたいのかなとも思える。カバンを外して、持ち物を確認する子もいれば、それを冷かしたりと実に楽しげである。ほぼ、毎日同時刻の行事の様だから、この子たちは心配は無用なのであろう。

 

わたしが気になるのは、ひとりぽっちで遅れて通る子である。複数人はいる。しかし、バラバラに通り過ぎるから、互いに知古はないと見える。送り出した親はどんな気持ちであろうか。

『早く行きなさい!』

と叱責しないのか?

『ゆっくりしてたら遅れるわよ』

と急き立てたりはしないのだろうか。わたしならそうするのに。しかしそれを言えば子に反発心が出てぐずるのかも知れない。まあしかし、たとえ一人ぽっちであっても、遅ればせながら登校をするのだから、根はしっかりしているのであろう。

 

わたしの同年代の頃は、様々な理由を作っては休校した。それから比べたらずっと

「エライ!」

と思うが、うつむき加減にとつとつ歩く後ろ姿を見ると、可哀想になり

『はよ、行きなさいよ』

と声を掛けたくなるのだが、今は面倒な時代なので黙ってみている。