聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

結婚 もっと良い人がいるかもしれない

 

 

画像出典:うらなえる


人とのめぐり逢いは、いわばゲームのカード合わせのようなものである。違うのは、カードは有限であるが、めぐり逢いは無限であると言っていいほどにある点にある。

人生の伴侶を求めてのめぐり逢う人が自らに思う人柄や資力や財力に合わないと思えば次のめぐり逢いのカードを待つしかない。それで、必ず自分に納得できる人にめぐり逢えればよし。逢えなければまた、次の機会を待つ。

 

しかし、人のめぐり逢いは、次はより良いものかどうかは、誰にもわからない。

 

■ もっと良い人がこの世にいる

そういう思いは誰にも有って、今に付き合っている人の外にもっと、自分が求めている人がどこかにいて、今はそのめぐり逢えていないだけではないか、と思うものである。それで、次のめぐり逢い待つことになる。

 

しかし、そのめぐり逢いを繰り返すうちに、歳もとるばかりでなく以前のめぐり逢いの中に今となっては自分にふさわしい人であったのかも知れない、という人が出てきたりする。しかし、過去のめぐり逢いで復縁出来れば良いが、それが何らかの原因で出来ない事もある。

例えば、自分が巡り合った相手の好意を袖にした時などである。相手が今も独り身なら自身がへりくだって近づけばあるいは可能かも知れない。相手が、既に家庭を持っているなら、それも叶わぬ話。

 

結局のところ、このめぐり逢いを幾つも繰り返しているうちに、それが恒例の行事の様になり、独り身も悪くはない、と思える時が割と多くある。

 

■ 危険な考え方

この考え方は結婚を考える時には非常に危険な考え方であるのかも知れない。

 

そもそも、巡り合いがあったなら、それがまるで思いもしない的外れの相手であったとしても、そこから愛情を育てることはそれ程に難いものではない。多少なりとも相手にどこかしらの何かしらの良さを見いだせるなら、案ずることは無いのである。

愛情は長い年月の内に育てるものであって、最初からそれを求められるものでも、存在するものでもない。嫌いなタイプと思っていた。ところが、次第に良いところ発見することがある。というようなケースの方が、短期での付き合いよりずっと理にかなっている。

 

まして、どうにも発展しないようなめぐり逢いなら、その時点で終わっている。

 

 

妻の友人の一人は今も独り身である。

この考え方で、めぐり逢いを待ち続けた結果、年月は無情に流れてしまった。最早、結婚を考えもしないでいる。

 

人は自分の人生をどのように生きても構わない。ただ、その結果を受け入れることが出来るなら。