聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

続・飛び込み営業

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画像出典:ミリオンセールス


続・飛び込み営業

 

飛び込み営業の募集の内容は、前回も書いた下記の通りではありますが、書き漏れがありました。

「基本給25万円+一件成約に付き7万円。学歴・職歴不問」は前回。

これに更に「未経験者歓迎」「見習可」「親切指導」の漢文が加わっておりました。

 

要するに実力次第という、何ともまともに勤めなどしたことのないわたしには涙がこぼれる程に美味しそうな募集だったのでした。

 

■ 1チーム5-6人編成

飛び込み営業を行う時の人員編成は、1チームに付き6人が最大でした。これは、会社の乗用車で飛び込み営業地域へ移動するためでした。車は、この中の長である係長と主任及び私たちの平社員が3-4名という布陣です。こういうチームが記憶に残っているだけで10チームはあったでしょうか。当然チームごとの客の争奪戦になります。

 

まるで、刑事ドラマの班別編成風でした。

 

■ どの地域にするか

数十戸の分譲地の周辺の半径10キロ内を目標に、飛び込み営業を行いますが、現地に到着するまでは、今日はどこに飛び込むかは係長が殆どで、主任がおぼろげに知っている程度で、平社員のわたしたちには、何も知らされていませんでした。

勿論、知っていたところで何かが変わる訳でもありませんが。それに、わたしたちに事前に言うと、他チームに情報漏洩が出る可能性も考慮してのことであったのかも知れません。

 

■ 朝礼

朝礼は、全員が出席しなければなりません。全員が広い事務室にチーム別に縦に整列し、部長が前に立ち、二人いる課長が大声で社訓を発しますと、それに続いて以下のものが続くという訳です。

 

「一つ誠実、二つ努力、三つ感謝」であったでしょうか。これも、

内心は

『あほらし!』

とは思うものの、誠実に復唱しておりました。

そのあと、部長が前日に成果のあった、つまり頭金2割契約まで漕ぎつけた社員の表彰があります。表彰と言っても「○〇君おめでとう。みんなも続くように」だけ。

この、朝礼に出ないでも所属チームが会社を車で出発するまでに出社していないと、乗り遅れてしまいます。遅刻は許されません。

 

■ 朝礼が終わると出発

朝礼が終わると直ぐに出発です。これも、オタオタしていますと、課長や部長が追い立てて来ますので、とにかく社を出なければなりません。個人の管理する机というものはなく、持ち物は手提げカバン一つという、足が地に付かない社員でありました。

 

女子の社員もいましたが、事務職だけで、今も覚えているのは2人だけす。朝は早く、夜は早くて7時ころのにしか居ないので、話もする機会がありません。かわいい子もいたと思うのですが、当時は毎日が地獄のようで、ぼろ布(きれ)のように精神状態でしたので、彼女たちと何とかなろうという余力は皆無でした。

 

■ 高速道路で移動

高速道路を移動して、飛び込み営業の地域へ向かいます。運転は係長でした。狭い室内に押し込められて、早く着かないかなとばかり、いつも思っておりました。高速道路をバンバンと飛ばすものですから、良くパトカーから警告を受けたものです。

『そこの、○〇建設の車、スピードを落としなさい』

 

警告程度で収まるのは、警察関係の人々にも多くの会社の分譲地の購入者がいたため、いわば「手心」を加えて貰えたわけです。今風に言えば「忖度」でしょうか。勿論、現在ではそのようなことは行われていないとは思いますが。

 

■ 「親切指導」

セールスの仕方は、入社数日は主任か係長について回りますが、後は見よう見まねでやるしかありません。「お前らは、この会社に稼ぎに来てんだから、後は自分で考えてやれ」てなものでした。募集の時の「親切指導」も呆れます。

 

■ セールストークの実践

早く現地に到着した時は、セールストークの実践を公園などで行います。人通りが多い公園であっても、これをやらされました。

『おい、おまえ、オレに今回の物件をセールスしてみろ』

と係長が、平社員に言いつけます。

そこで、

黒い手提げカバンを右手に、左手にバインダーを持ち飛び込み先の玄関ドアの前に立つ姿勢で、まずは呼び出しボタンを押すところから始まります。

例えばわたし、

『ピンポン』とわたし

『はーい、どちらさん』と係長

『わたし、○〇建設の者ですが、近くに分譲住宅を、、、』ここで、言いよどみますと、

『うちは、何も考えていないんで、結構』と係長

『・・・』

 

『あのな、そんなセールストークではアカン』

と係長に叱られますが、ではどうするのが良いかは少しも教えてくれません。道行く人が、立ち止まって見られることがあっても、わらわれても、

 

「大声でやれ」「風呂で屁をこいたような声ではあかん」

 

と係長は意に介しません。

『どうしたら良いか、考えておけ。また、旨く言っている人間にも聞け』

ですって。

 

 

「親切指導」などありません。ノルマ給を達成するのには、同僚ですら競争相手であります。部下であってもです。まあ、これほど厳しいのが「飛び込み営業」というもので、後日、違う職種で営業職に就いた時には、

「なんて楽な仕事かいな」と思ったものです。

 

 

 続きます。

飛び込み営業 

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画像出典:ミリオンセールス

 

営業職の最も厳しいものが「飛び込み営業」かと思います。わたしは、一時期において不動産の飛び込み営業をしたことがあります。新聞広告か何か、紙媒体を見ての応募でした。今から30年位前のことでしょうか。

 

■ 営業職の条件

営業職募集の内容は、

「基本給25万円+一件成約に付き7万円。学歴・職歴不問」

で、これに釣られてしまいました。

要するに実力次第という、何ともまともに勤めなどしたことのないわたしには涙がこぼれる程に美味しそうな募集だったのでした。

 

■ それまではルート営業

入って、数日の内に後悔しました。「飛び込み営業」だったからです。

それまで務めた会社では、営業職でしたがルート営業という定まった客の注文を聞いて商品を届けるもので、早く言えば「御用聞き」でした。ノルマはありませんでしたので、注文がなくても、有っても給料が変わることはありません。

 

■ 飛び込み営業

しかし、今回は不動産の「飛び込み営業」でした。この営業は、今でも行われているのでしょうか。労基に厳しくなっていますので、あるいはわたしの経験したほどのことは無くなているかも知れません。

開発して数十件の建売住宅の計画概要が決定しますと、不動産分譲会社は即座に広告をその地域全般に週を分けて打ちます。主に新聞チラシでした。

 

■ 営業に回る先

その広告を援護に、「飛び込み営業」を行うのです。

賃貸のマンション、老朽化した分譲マンション、府営住宅、公務員宿舎などを徹底的に回ります。一組5-6人が1チームを組み午前と午後に一回ずつ。しかも、翌日には前の日に回ったチームの後を回るのです。取りこぼしを無くするローラー作戦でしょうか。

 

■ 歓迎せざる客

しかし、訪問を受ける側は、不動産を買いたくても買えないとか、買う積もりがない人、先のこととしている人は少なくありません。そういう人にとって、飛び込み営業者が毎日くることは、「嫌がらせ」に近く「招かざる客」であり、「天敵」でした。

 

従って、反応も極めて厳しく、警察を呼ばれることもありましたし、怖いお兄さんが出てきて、首を締めあげられたりしました。

 

■ 首になる人も

こういう日が、多いとやる気は殆ど起きません。それで、出かけて行った地域で営業を放棄して、チーム全体で車で寝ているところを、見回り中の課長に見つかり、減給や首になった人は、数知れませんでしたね。

 

■ 現地に客をの「現地案内状」

「一日、努力しましたが、成果が上がりませんでした」はノルマ給では、通用しません。売り上げに通じる手ごたえを持って帰らなければ、許されません。その手始めが、「現地案内状」でした。これは、買うかも知れない「見込み客」を、分譲地へと土日に現地に案内する案内状です。

 

■ 「現地案内状」を偽造

しかし、努力を重ねても「それじゃあ、一度現地をみてもいい」と言ってくれる人はそうざらに居るものではありません。訪問件数が少ないから「そうなるのだ」と言われ、夕方から午後8時まで、飛び込み営業を継続するように言われることもありました。

 

しかし、それでもダメな時には、「現地案内状」の偽造です。仲間の誰かに偽の案内状にサインをして貰うのです。それで、認印も沢山保持している人もいました。わたしも、今でもその時のハンコを幾つか持っています。何の繋がりもない人のハンコです。

 

■ 現地案内当日

偽造した「現地案内状」ですから、案内する人はいる筈もありません。会社は、当日の朝に「現地案内状」を提出した営業者に、案内する相手方に電話をさせます。確認を取る為に。

 

そこは、偽装した「現地案内状」の家に実際に当日電話をするしかありません。

『本日、分譲住宅地で概要説明をおこなっておりますので、来ていただけませんか』などと、駄目であることは分かっていても、頼んでみるのです。

 

直ぐに怒り出すような人を「現地案内状」に記載しませんので、問題は発生しません。また、当日に電話を掛けるからとも言って置き、「その時断ってくれたらいいから」などを頼み込むこともありました。

 

会社には、「都合が悪くなり、来れない」と言っていますなどと、言ってその場をしのぎますが、何度もまた、続けては使える手ではありません。半年坊主なら、首が掛かっていましたから。

 

 

続きます。

 

 

 

金融資産が1億円以上の人は50人に1人

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画像出典:stage

金融資産が50億円とか100億円の大金持ちなどならいざ知らず、数億円の小金持ちといわれる人は、普段はどんな生活をしているのでしょうか。

こう書くと、

『数億円が小金持ちは、おかしいだろう。十分に大金持ちだろうが』

といわれるかも知れないが、50億円と比較すれば、小金持ちであろうかと思います。

 

参考

野村総合研究所NRI)が2018年に作成した「2017年の純金融資産保有額別世帯数と資産規模についての推計」の調査において、
純金融資産保有額が
・1億円以上5億円未満の富裕層:118.3万世帯
・5億円以上の超富裕層:8.4万世帯
・3,000万円以上5,000万円未満のアッパーマス層:720.3万世帯
・3,000万未満のマス層:4,203.1万世帯
という結果が発表されました。
富裕層と超富裕層の合計世帯数は126.7万となり、2000年以降、この数は2017年に過去最大であるとのことです。

 

 

■ 小金持ち

例えば、1億円あったら凄いというけれども、それを働かずに取り崩して生活するとなると、年500万円使ったとして、20年しか持ちません。50歳の人では、70歳になれば一億円はゼロになります。

 

これでは、1億円を持っていても大金持ちではありませんね。2億円であってもギリギリ死ぬまで持つかも知れませんが、不用意なお金が歳を取ると係るかも知れません。安心が出来る金額ではありません。

 

■ 小金持ちは周りにかなりいる

金融資産が数億円の人と言うのは、わたしたちの身の周りには結構います。日本での億以上の金融資産を持つ人は50人に一人はいる(野村総研2017年しらべ)と言われています。

わたしの住む町内の人口は約1000人です。そうすると20人は1億円以上の金融資産を持つ人がいることになります。

 

■ 近所ににもいるかも知れない

それらの内には、会社や個人事業主なども含まれていますので、それらの人は人目に付きやすい。しかし、これらの人たち以外では、立派な屋敷に住んで、高級車を乗り回しているという人は、無くはないけれども、多くはなく、ごく普通の生活をしていると思います。

 

もしかしたら、近所にもそういう人がいるのかも知れないと、思います。ライトが黄ばんだ車に乗り、服装も生活も質素に暮らしている人の中にもいるかも知れません。

 

そういう人がホントは、ローンの新車にのりローンの新築に住んで返済に追われている、何もかもローンの人より実際は裕福なのでしょう。

 

羨ましい限りです。目指すは少なくとも小金持ち。

 

 

惜別の歌

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画像出典:映画探偵室

 

「惜別の歌」は中央大の校歌の一つとしても有名。その作曲は、同校卒の藤江英輔とい人の手によるものではあります。太平洋戦争時の学徒動員の送別の歌であったようです。

 

後に、同名の映画にもなりました(冒頭の画像)、主演の小林旭氏の外にも、いろいろな歌手がこの歌を歌い、ヒットして一躍有名になりました。

 

■ 作詞は島崎藤村

作詞は、島崎藤村とどの歌詞にも書かれていますが、何も藤村がこの歌のために書き下ろしたわけではありません。藤村の「若菜集」という詩集の一節にこの藤江氏が曲を付けただけのことです。

 

■ 若菜集

若菜集のこの「高楼(たかどの)」には、別れて住まうこととなった、姉と妹への別れの歌となっていて、学徒出陣とも直接は関係ありません。別れの切なさという点を除けば。

 

■ 歌詞の中に

「惜別の歌」の歌詞の中には、

「君がさやけき目のいろも
 君くれないのくちびるも
 君がみどりの黒髪も
 またいつか見んこの別れ」

などは、確かに学徒出陣での歌に似合わない部分であります。

 

しかし、別れの歌としては、どの別れであったとしても、非常に心情に響くものがあります。それで、いろいろな歌手が歌って、広く有名になったのでしょう。わたしも、送別会でこの曲を歌ったことがあります。

 

■ 別れた人

わたしにも、若い時があり非常に好きだった女性との別れや学生時代の女同級生などを今更ながらに思いだすことがあります。その時、

『あの、可愛かったあの娘(こ)はどうしているかなあ。キラキラとして綺麗な目をしていたなあ』

と思うことが、この頃良くあります。

 

「惜別の歌」の中の歌詞に「君がさやけき目の色も」の「さやけき」は明るくて清々(すがすが)しいことを表していますが、恐らく、今はその眼の色も、黒目の周りが退色して白っぽくなり始めているであろうとは思います。

 

相当な歳になっているであろうから、その年の人としては逢いたくはないけれど、あの時代のままだったら、今すぐにでも逢いに行きたい。叶うことのない儚い夢だとは知りながら、移り来た月日を疎ましく感じるこの頃であります。

 

 

 

 

お金を使うと喜びを感じる人と逆の人

 

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過去にお金に苦労した人とか、倹約をモットーとしている、あるいはせざるを得ない状況にある人は、お金を使うことに非常に敏感です。財布からお金が出ていくことに、途轍も無く危機感を露わにします。

 

従って、お金が減ることに苦痛すら感じます。

収入がどんどんと増えるような時代であれば、その感覚は少しは鈍りますが、基本的に一生変わらない性格かと思います。

 

■ 母の口癖

わたしの家はかなり貧乏でしたので、いつも母が

『お金がない』

とこぼしておりました。わたしは、その言葉を刷り込まれて育った気がしています。現在でも、お金がない、と自分自身が思うことは、母の言葉の再現となる気がして、お金にそう困ることがない場合でも、お金が出ていくことには、多少の苦痛が生じます。

 

■ 物をお金で買うこと

物を買って、それが自分の物になる、手にすることが出来る、というのには喜びが生じるのが一般的で正常な感情であると、何かの書物で読みました。しかし、わたしや私と同類の人は、逆に苦痛でしかありません。ものを得ることより、お金が去って行く方が辛いのです。

 

■ ブランド品

しかし、どうしても買わなければならない時には、買うしかありません。が、それは何もブランド品であったり、有名な商品である必要を全く感じません。

 

妻や子は、そうではなくて、ブランド品や有名品を買いたがります。わたしは、それを止めさせたり非難したりはしません。見ているだけです。何もブランド品でなければ彼女たちの値打ちが落ちる訳でも、上がる訳でもないと思いながら。

 

■ 買う喜び

こういう場合、彼女たちはブランド品を買った喜びに浸って居られるのが、わたしには不思議なくらいです。わたしの、この気持ちをおそらくは理解できないでしょう。

 

彼女たちは、何もブランド品でないものを買う場合でも、買う事、そしてお金を使うことに至極当然の喜びを感じるようで、欲しいものはそれ程の躊躇なく買います。この場合は、ブランド品とかの高価なものではありませんが。

 

■ 将来

将来が、希望に満ちた昭和の時代のようであれば、わたしは妻や子に節約を必ずしも希望しません。しかし、その将来は現在においては厳しい予想しか出来ません。出来る限り、そういう時に備えて置いて節約して欲しいのですが、強要は出来ませんしね。

本当に魅力ある人とは

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画像出典:ASAHI.com

 

魅力ある人とは、万人にやさしく振舞える紳士といえる人でしょうか。人を非難したり、自分を前面に押し出して主張するなどあり得ないような人でしょうか。

 

■ 不真面目でグレている

若い女性でも、まじめ一本槍やいつも優しい男性が「ステキ!」とはならないのは、今でも同じでしょう。少し不真面目でグレている位の人の方に惹かれるものです。それは、男性から女性を見るにしても、そう違いはしません。その方が、魅力的に思えるのです。

 

■ ハラハラするような人

少し不真面目でグレているような男性には、どこかにハラハラさせるものがあります。何をするか分からないハラハラがあると、厭な部分ではあるのですが、少し正体が不明である部分が残っているのが魅力の方が勝ってしまうものです。

 

■ 例えば

例えば、アメリカでも、日本でもホワイトハウスを去ったトランプ氏のような存在には、熱烈な支持者がいます。ホワイトハウスから去るトランプ氏を見送るこれらの人たちは、バイデン氏の大統領就任に喜んだ人たちより、熱烈でした。

 

■ 魅力は嫌いと好きが半数の人

彼は、大統領を去るまで、その言動が強烈で強引でした。

アメリカでも日本でも大手メディアは、こういう人間を嫌います。それは、これまで積み上げてきた常識が通じないからでしょう。それに拠れば、彼は理解不能になります。それが、自分たちの常識を破ってしまうことで、脅威と映るのでしょう。

 

まして、一国の大統領であれば、尚更不信が募ります。従って、反トランプも強烈でした。その反動というか、袋叩きにされる者に対して狭義心を持つ人々も少なくなく、擁護したくなるものです。

 

したがって、今回のような大手メディアや議会から強烈な反発を食らえば食らうほど、彼を熱烈に擁護したくなるのは、結局、強烈な個性の持ち主であるトランプ氏の魅力に外なりません。

 

■ トランプ氏は絶滅危惧種

わたしもトランプ氏のようないわば何かを唐突に主張し、実行するしてしまう人が嫌いではありません。むしろ既成概念を壊してしまうような彼が大好きです。

 

反発の強いが擁護者も多い。つまり二者が互いに強烈に綱引きをしていて、やや形勢不利である氏のような人には特に魅力を感じます。

 

ホワイトハウスを去ったトランプ氏ですが、彼のような強烈な個性の人は、日本はおろかアメリカほどの国においても、まずは他に居ません。今後も出て来そうにもありません。いわばトランプ氏は「絶滅危惧種」であります。

 

■ 魅力は尾を引く

彼が去って、アメリカは平凡なバイデン政権に戻る訳ですが、暫くすると、面白くもおかしくもない大統領になってしまったことに、

 

『あいつ(トランプ氏のこと)は、無茶苦茶なことを言い出す奴だったが、いた間は厭だったが、いなくなると何だかさみしい。いないとつまらない』

とか

『バイデン政権はつまらん!』

 

アメリカ国民はおそらく、いやきっと言い出すことでしょう。

 

 

アメリカの大統領選を振り返ってみれば

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画像出典:東京新聞

アメリカの大統領選挙戦は後味の悪い結果となりました。

トランプ前大統領は、選挙不正が行われたとして、選挙結果に同意しないまま、ホワイトハウスを去りました。バイデン大統領のいる「ホワイトハウス」は、「グレーハウス」位の批判を持って。

 

トランプ氏は、選挙に負けたのではない、バイデン大統領側の選挙の不正に負けたという印象を支持者に付けることに一応の成功をして、将来に繋げました。

 

 

■ 選挙不正は確かに存在した

確かに、今回の選挙で不正はアメリカの州のあちこちで行われたことは、開票場の監視カメラの映像や選挙に関わった人の証言で明らかです。それを、トランプ陣営側が、指摘し、州政府の最高裁判所や連邦最高裁へと訴えたものの、最終的には訴えは取り上げれれませんでした。

 

■ 選挙不正はこれまでもあったであろう

アメリカの選挙による不正投票や集計の不正は、何も今回が初めてではないのではないかと思います。確かに今回の不正を見ると、日本のように厳正な方法は採られていません。それでも、これまでは国民も議会も納得していた。そのような不正は、ある地域ではあったとしても、大勢に影響はないであろうという事なのでしょう。

 

■ 日本なら

日本であれば、ひとたびこのような不正があれば、少なくともその地域で、再投票を行うことになるでしょう。その辺が、国民性の違いなのかも知れません。

 

■ 投票方法などの議論

選挙期間中ではなく、今回の不正を元に選挙制度や投票方法を議論して、改善していくことがアメリカで出来るなら、今回の混乱は意味があったでしょう。そして、トランプ氏の指摘に呼応してもっと厳正な選挙へと投票方法に改正されるなら、素晴らしい。

 

しかし、アメリカは、それが出来るでしょうか。

 

■ 陰謀論など

この選挙には、いろいろ陰謀論なるものがあるとされています。しかし、どれもなるほどという理由付けはあるのですが、決定的な証拠は挙がっていません。一番有力なのは、財閥の同士の力の駆け引きです。イギリスに拠点のロスチャイルド家アメリカのロックフェラー家のせめぎ合いの結果である、というものです。

 

そして、トランプ氏は、ロスチャイルド家の支援を受けて大統領になった。それが、今回はロックフェラー家の巻き返しにあったというものです。近年は、ロックフェラー家の権勢が有力となっていますから。つい最近、ロスチャイルド氏が死去したとの報も入っています。トランプ氏の落日に呼応しているかの様です。

 

■ 選挙制度

今後、このような禍根を残して選挙に対して、このような両家の権勢の綱引きが継続するなら、選挙制度や方法が改正されることはあり得ないでしょう。ただ、このままでは、今回のトランプ支持者に燻(くすぶ)る不満は、アメリカ社会を不安定にし、混乱させることでしょう。

 

■ バイデン政権

バイデン政権は、国際協調路線ですので、トランプ氏のように極端ないわば依怙贔屓な遣り方はないでしょう。だからといって、防衛や貿易に弱腰であろうはずもありません。トランプ氏との比較ですれば、平凡なやり方で終始する、それだけです。

 

国内の産業界の意向のはざまに揺れ動く政治で、政策の多くが遂行出来ないままで推移していくしかありません。まあ、普通の政治に戻っただけであろうかと思います。

 

 

サラリーマン社会での実力

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本文と直接は関係ありません

画像出典:gendai.ismedia.jp

 

同僚同士で飲みに行くとき、その席ではどんな話が話題に上りますか?

仕事熱心な人がいて、飲み会でも仕事の続きのように、熱く持論を展開する人がいますね。少なくとも一人は。

 

それが面白おかしい話であれば、聞いていても「酒につまみ」になります。しかし、仕事熱心な人は、アルコール量の摂取が増えると、上司や同僚の陰口や会社の方針への不満などをに向かうのはお定まりのコース。そうなると、もういたたまれなくなって、早く帰りたくなります、わたしは。

 

■ 実力があるなら

サラリーマンである以上、会社の方針には不満でも従うしかありませんし、会社を動かせる力もなのであれば、会社と掛け合える良いでしょう。それが叶わなければ、黙っているか、会社を去るしかありません。自分に今の仕事では十分な実力はあるのに、会社が認めてくれないなら、その実力を持って他社に移れば良いだけのことです。

 

■ 上司や同僚の陰口を言う人

上司や同僚の陰口をいい、会社への不満を口にする人はどこにでもいます。そういう人は、仕事が特段に出来る人ではないのが普通です。要するに自分の働きを差し置いて、評価や収入が見合っていないというところに不満があります。それが、自分より働きが悪いと思える人やろくに仕事もしないでもやっていける上司に矛先が向かう訳です。

 

■ サラリマーンの社会とは

その不満を持っている人は、サラリーマンの社会を理解していません。もし、本当に仕事が出来るのであれば、サラリーマンの社会では、この先ずっと満たされることはないでしょう。会社は、家族とは違います。会社のために働いているという意識は間違いです。自分のために働いているに過ぎません。

サラリーマンの社会は、仕事が出来る人と出来ない人が混在していて、仕事が出来る人が出来ない人をカバーして一つの仕事をやり遂げていく社会です。

 

■ 仕事が出来る人、出来ない人

従ってサラリーマンで仕事が良く出来る人は、サラリーマンである限り不平不満は常に存在し、甘受するしかありません。非常に損な社会であります。逆に、それ程仕事が出来ない人にとっては、サラリーマンは悪くない社会です。

 

■ 仕事が出来る人は

仕事が出来る人は、自分の実力が発揮できると思う他社に移るか、独立すれば良いとかいてきました。一度、トライしてもいいのです。そこに至って自分の実力が如何ほどで、今までいた会社が自分にとってどれほど恵まれていたか、いなかったかが知れるというものです。

 

また、今の時代では実力があれば転職は当たり前になりつつあります。ところてん式に昇任が見込める時代ではありません。違う会社から、出来る人を引っ張って来て、管理職に据える、というような時代です。終身雇用制度は、破綻して久しいのです。

 

転職や独立してよかったと思えるかも知れませんしね。

ただ、それをやろうともせず、飲み会では、上司や同僚の陰口や会社の方針への不満などは止めてもらいたいものです。

 

また、転職して自分が批判や陰口を受けることがないように、そいう人のために祈るばかりです。

気前が良い人に貧乏はくる

 

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イメージです

画像出典:白川オフィース


語弊があるかも知れません。「気前の良い人に貧乏はくる」は「気前の良い人には、お金持ちが少ない」と言いたかっただけです。わたしの周りにも思い当たる人はいますから。

そういう人は、

『お金持ちはケチだね』

といいます。そうかも知れませんが、ケチだからお金持ちに成れたともいえるかと思います。

 

 

■ ある例

ネット動画を見ている時、今は亡くなって久しい有名なトリオの芸人さんのリーダーに当たる人の家族の、現在の生活を取材したものがありました。

 

彼が、現役の頃には人気もあり多忙な毎日を送っているのを、テレビで見るにつけ、その収入は如何ほどであろうか、きっと相当にいいであろうと思ったものです。

ネット動画は、狭くて暗い住まいの一室を映し出していました。

 

 

■ 残された家族

そこは、売れっ子で有名なその芸人さんの残された家族の暮らす住まいであったのです。狭くて古ぼけた部屋と薄暗い照明、部屋の中央に置かれた卓袱台(ちゃぶだい)に向かい合って座った、二人の家族。

 

30歳を過ぎたらしい子息、老いたその母親は、その芸人さんの残された家族であったのです。あれほどの売れっ子で稼ぎも良かったのに何故?

 

 

■ 気前が良かった

亡くなった芸人さんは、人柄や良く、気前も良かったらしく、他人に飲み食いなどを惜しみなくお金を出した。いわゆるおごって来たそうです。そして、突然に彼は死に、家族は貯金がほぼゼロであったと知ることとなりました。

 

殆ど稼いだだけ使った。

遺族は、収入がなくなって、パートなどで、食うや食わずの生活で凌いでいるのだと言います。

 

 

■ そして今でも

これは一例でした。が、今のような不況のさなかであっても、気前の良い人は残っています。その性格は、景気が悪くなったとしても、あっさりと方向転換出来るものでもなく、不景気ななりに、気前は良いのです。気前よくすると、感謝され、持ち上げられることが病みつきになるのでしょうかね。

 

その結果、自分は食うや食わずの日々の生活を送りながら、人にはそれの10倍近くの、手土産や食事代を出してくれるのです。それが、痛々しくて辞退したいのですが、それをするとかえって、彼らは不服の声を上げることがあります。

 

 

■ 気前の良い人に貧乏はくる

従って、かれらは、使うためにお金を貯めていると言ってもいいので、お金は貯まりません。そうまでして、他の人のためにお金を出しても、自分が更に困窮したからといって、生活費を援助してくれる訳でもありません。

結局のところ、お金に苦労しながら生きていくしかありません。気前よく金を出してあげた人の豊かな生活にため息をつきながら。

 

それは、「アリとキリギリス」の話に少し似ています。

「貧乏暇なし」ではなく「貧乏カネなし」であります。

 

 

人生にもしもあの時、はない

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宮本武蔵

 

人生が長いと、

『もしも、あの時こうしていればよかった』

とか

『もしもあの時、こちらを選ばなかったら』

などと思うことは、時々あります。それを考えたところで、どうにか成る訳ではありません。が、何かが上手くいかない時には、そう思うことも自然なことであろうかと思います。

 

■ コントのように

テレビのコントのように、「お馴染みのもしものコーナー」のように自分の人生を想像して楽しむのは悪くはありません。

 

■ 後悔とは愚痴

しかし、あの時こうしておけばよかったと思うそのことや、進む道をこちらではなくあちらにしておけば、本当に今よりより良い結果になったでしょうか。

 

なったとも思えるし、ならなかったとも考えられるものですが、結局のところ後悔のという愚痴に過ぎません。それらのいずれも、もしものその道を歩けば、そこにも必ず困難や後悔はあります。そしてもしかすれば、今愚痴をこぼしている道を選べばよかったと思うかも知れません。

 

■ どの道にも

しかし、どう生きても、必ず後悔はあります。

宮本武蔵

『我が人生に一片の悔いなし』

といったと言います。

彼に本当に悔いがないのなら、そんなことをわざわざ言いません。

悔いだらけの人生であったが、この道しかなかった。それが真実でしょう。わたしたちは彼ほどに、悔いを持たないから、言い換えれば、それ程強烈な生き方をしてはいないから、

『我が人生に一片の悔いなし』

などとは言わないだけです。言えないだけです。

 

■ 歩んだ道に花を咲かす

複数の人生を歩めないのであれば、その道に花を咲かす努力をするしかありません。それが、たとえ人生の半分を過ぎてからでも遅くはありません。

 

わたしが選んだ道にわたし自身の手で、努力で花を咲かせるしか、浮かぶ瀬はありません。そのためには、

 

「自らの立つ足元を、深く掘ればいずくにも清水が湧くべし」は、高山樗牛(たかやま ちょぎゅう 明治の思想家)の言葉です。

 

趣味やお金儲け、あるいは研究、人間関係でも、今置かれている自分の位置を考えて、その中から、深く入り込み求めて行けば、人生を豊かにしてくれる何かを得られるだろうというほどの理解でよいでしょうか。