聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

別れは出会いより大切

f:id:yukukawa-no-nagare:20210407063352j:plain

岐路

「出会いを大切にしたい」と誰でも思うものです。恋愛でなくとも生きているうちに出会う人のすべてに対して。確かに出会いは、そこから人間関係が始まるので、大切にしない人はないでありましょう。

 

■ 別れに人柄が出る

しかし、のろ気も甚だしい二人の結婚が、離婚となると双方がののしり合うようなことは、芸能人をはじめとして、よく耳にするところです。その度にわたしは、出会いも勿論大切だけれども、別れ際の方がもっと大切だなと思うのです。

 

別れ際に双方が非難の応酬をするのを見ると、何だか悲しくなります。別れ時にこそ、その人柄が知れるというものです。あのような別れ方は、実にみっともない。

 

■ 好きが嫌いに

何でもないことで好きになることもありますが、何でもないことで嫌いにもなります。双方に個性や感情の揺らぎ方は違うので、好きが嫌いになることが出来るのも致し方ないことではあります。

 

それが募りに募れば大嫌いになるのもまた自然。別れるしかないと双方が決めるに至ったなら、離婚や絶交も致し方ないでしょう。しかし、別れ方は出会いの時より綺麗にしてほしい。恋愛なら好きで別れることに華がある、と思う。

 

かくいうわたしも、過去を振り返れば人を非難できるほどの立場にはありません。相手を傷つけ自分も傷ついた別れはありました。それも今は懐かしくあります。そして今は、そのようにして別れた人が、幸せに暮らしているのなら、どんなにか嬉しい。

 

これから別れるかも知れない人には、別れを大切にしてほしい。

 

鳥に耳がない理由

f:id:yukukawa-no-nagare:20210406072456j:plain

画像出典:学研キッズネット

 

鳥には耳がありません。正しくは、外から見た目には。

つまり、あるにはあるが、外からは見えない事が殆どである、ということになります。

 

■ 耳が見えない理由

耳が外見上見えない理由は、人間の耳のように出っ張りがないからです。出っ張りがない理由は、飛ぶときに風の抵抗を受けるので、あると不利になるかららしいのです。

 

■ どこにある?

では、鳥の耳はどこにあるのでしょうか?実は冒頭の写真にその例はあります。鳥類や哺乳類、爬虫類などは大抵の場合頭付近にあります。耳からの情報を直ぐに脳に伝えるためには、離れていず伝達が遅くならない位置でなければなりません。お尻辺りでは不味いでしょう?。

 

鳥の場合、目の横辺りにあるのが解ると思います。人間と同じですね。

目も耳も重要ですから、近くにあって当然でしょう。ただ違うのは、耳が出っ張っていないという事実だけです。

 

■ 耳穴があるだけ

ダチョウやコンドルなどの毛が顔周りに生えて居ない鳥を見ますと、耳穴が開いているのが見えます。他の鳥も同様ですが、羽毛のために見えません。人間の耳穴と同じですが出っ張りはない、ということでしょうか。

 

人間も鳥のように耳穴だけで出っ張りがなければどうなるのでしょうか。懸念は唯一点。眼鏡やマスクがかけられないであります。

頑固に生きて来た

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210405121614j:plain

頑固者です、わたしは。

 

それが原因で損をすることは多かったですね。人がこうすればと助言してくれて、それが正しいと分かっているのに、それに従えない。それに従って行動して、仮に成功しても自分の手柄ではないとなることが、わたしにはわたしを許すことが出来ないのです。

 

若い頃からそうでした。

 

■ 自我が強い

『自我が強いから、お前は損をしたり、年上の人から反感を食らうから気を付けろ』

よく、祖母がわたしに言って呉れた言葉です。それは間違っていませんでした。学生時代には、、同級生から呼び出されたり、バイト先では大学生に殴られそうになったりしましたが、幸いにもいずれも大事には至らないまま終わりました。

 

しかし、わたしの自我の強さ、頑固さは変わることはありませんでした。

 

■ 道に迷う

従って社会人となってからも幾度となく道に迷ったり、反れれたりして社会人としてのスタートから躓いてばかりでした。長らく食うや食わずの生活もありました。自身の道を見つけたというより、ただ人が指南してくれた道に行くまい、違う道を行こうとだけの実に浅はかな考えで今日まで来ました。

 

今更ながらに振り返ってみれば、何といういい加減であったことでしょう。しかし、わたしが何とか今日までこれたのは、若い時代が昭和が育ててくれたと言えるかもしれません。

 

■ 昭和の時代

昭和の時代は、偏見や誤解、学歴社会などよくないところもありましたが、今日ほど束縛の多い時代ではありませんでした。がんじがらめの不自由な時代ではなく、貧しいながらも将来に希望がもて、生き方に多様性を許容することが出来る社会であったと思います。

 

頑固のために損をたくさんしましたが、残りの人生が少なくなるに従い、むしろ後悔は薄れて懐かしか起こりません。もし、人生をやり直すことが出来るとしても、わたしは多分同じ頑固なままで、今とは違う道を歩いている気がします。

 

 

 

愚痴は言わなくなった時、解決している

f:id:yukukawa-no-nagare:20210404090849j:plain

画像出典:他力本願net

 

娘の友人に看護師をしている遠く離れた友達がいます。

娘とは、人気音楽グループのコンサートで知り合いになった女性でした。職種は違うものの働き始めたのも同じ時期、同年齢でしたので意気投合して、付き合いは始まったようでした。

 

■ 仕事を辞めたい

娘の友人は、仕事に就いた時から半年を経たずに、

『今の仕事を辞めたい』

と何度も携帯電話で訴えてくるようになりました。その度に娘は、彼女を励ましました。相手の苦境の言葉を受けて、最後には

『石の上にも三年と言うし、頑張ろう』

と。

 

■ その後

その後の1年間程度は、この電話はかかり娘も変わらない対応をしておりましたが、余りに辞めたいと言うので

『それ程嫌なら辞めるしかないやろ?』

の言葉を言ったら、それきりに電話はかからなくなり、今では音信普通です。

 

■ 本当に辞める気がある?

本当に辞める気があれば、人に相談は大抵の場合しないものです。決断ですから自分がするしかありません。ただ、娘の友人は、そう言うことによって、ストレスと辞めたいという気持ちを抑えていたのでしょう。

 

それを、

『じゃあ、辞めれたら?』

と言われれば、もう娘の友人には逃げ場はありません。娘としても致し方ない助言でしたし、友人も決心したのかも知れません。が、音信不通というか、双方が連絡を取らないので以来、何の情報も入ってきません。

 

■ 真剣に考えているなら

本当に真剣に考えているなら、きっと娘の助言ただ一回だけで

『辞めたい』

は、終わったことでしょう。人は、愚痴を言っている限りにおいて、その愚痴の解決をすることはありません。愚痴を言わなくなった時、それはどういう形であれ、解決した時でありましょう。いつまでも愚痴を続ける人は、解決する意思はありません。

 

美人の方が実は口説き落とし易い

f:id:yukukawa-no-nagare:20210403103016j:plain

本文と直接関係ありません。

 

世の男性諸氏は、綺麗でかわいい女性ーいわゆる美人が身近に居たらどうしますか?わたしなら、ダメだろうけど声を掛けて来ました。これまでの若い時にはケースごとに最低でも数回は。なお現在では中断しておりますが。

 

大方の諸氏はこのような女性には、きっと強敵の彼氏がいるに違いない、と思うことでしょう。確かに、そういうケースはありますが、案外そうでない事の方が多い。

 

■ 美人の周りには真空地帯がある

美人の周りには、

「とても俺のような男では、彼女を落とせないだろう」

という思いの男たちが遠巻きにして手をこまねいている構図があります。

 

■ 美人とまでには届かない女性

一方、美人とまでは届かない女性は、多くの人が口説くので、慣れてしまっています。えり好みが出来ますので、彼女らを簡単に口説き落とせると考えることは、大きな間違いです。

 

■ パッとしない男が落とす

パッとしない男性が、誠意をもってかどうかは分かりませんが、ダメ元で美人に声を掛けることがあります。自分は、見ての通りにパッとしない男である、あんな美人に声をかけても振られることは間違いがないだろう。だから傷つくことはない。

 

そう思えるから、割と気楽に声を掛けてチャレンジしてしまう。

 

それが、美人にはそういう事が少ないので嬉しことであります。

で、暫くしていると付き合ってしまう。結婚にまで行

った。

という話は、これまで2例知っています。

 

■ 一例目

建築の現場監督をしている男性が、誰かの紹介であった美人をとことん貢いで落とした、というものです。

『へえ、あの無口で頑固な奴が!隅に置けないね』

ということになりましたね。

 

■ 二例目

これは、テレビでのはなし。

美人女優が、お笑い芸人と結婚した時のことばです。

『だれも、わたしを口説いてくれなかったが、彼はそう

してくれたから』

と。

 

■ 教訓

美人がいて、いいなと思ったら


口説きなさい。

 

 

四人ばらばらの生活

f:id:yukukawa-no-nagare:20210402123911j:plain

画像出典:自然浴生活

本文と何ら関係ありません

 

近所に比較的親しい家庭があり、これまで4人全員が一つの屋根の下で暮らしておりました。主人は自宅から通える工場へ、奥さんは近所へのパートへ、子供は家から通う学生でした。

 

■ 転勤になる

主人は勤め先の京都の工場から静岡の工場へと転勤になり、単身赴任となりました。赴任先から工場まで距離があるのか、車を買ったそうです。

 

■ 子供と奥さん

子供は、男女一人ずつで、学校を卒業していずれも親元を離れて一人暮らすこととなり、いままでの自宅には奥さんだけの一人づ住まい。

 

■ それぞれの生活

この家庭には、家族が一緒に出掛けることが出来るようにと買った、三年前は新車が残されています。奥さんが運転出来ない訳ではありませんが、殆ど利用しないままになっています。

 

■ それぞれがそれぞれの生活をすると

それぞれがそれぞれの生活をしますと、非常に無駄な出費が増えます。これは仕方がないことではありますが、世知辛い今の世では、家族がお金を残せない状況がずっと続くことを予感させます。

 

電気やガスの光熱費、水道代、家賃が離ればなれの個々の家族に掛かりますし、家のローン、車の維持費(二台分)なども夫婦にかかります。これらは、一つ屋根の下で暮らせば1/4以下で済ませられます。

 

仕方がないとは言うものの、非常に無駄な出費が出ていることになります。

我が家の娘は、働いておりますが自宅からの通勤であり、いわゆる生活の基盤をパラサイト(寄生)ています。無駄でも本来なら、一人暮らしの経験もしてほしいのですが、ここは見逃すこととしています。

あなたの配偶者は怒ると物に当たるタイプでしょうか?

f:id:yukukawa-no-nagare:20210401071233p:plain

画像出典:sozai

 

例えば夫婦喧嘩をした時、あなたの配偶者は、怒ると相手に当たる(反論する)タイプですか?それとも相手ではなく物に当たる方でしょうか?

 

わたしは、相手に当たるタイプで、大抵の人が同じであろうかと思います。相手とは、勿論怒ることをさせた当人を指します。関係のない人に当たるいわゆる「八つ当たり」は致しません。それをすると、敵が増えてしまいますので。

 

■ 妻

妻は、女の人の一般的な「おしゃべりである」の思い込みからいえば、無口です。

その点が、わたしは気にいっています。いつも何かしら言い続けている人であったら、ずいぶんと疲れるだろうなと思うから。彼女の無口な原因は口下手であることから来ています。これは大抵の無口な人に見られる傾向です。

 

■ 反論が上手く出来ない

従って妻は、わたしとの口論では殆ど反論しません。

その分を、物にあたるのです。例えば、茶碗を割ってしまう、ドアの開け閉めがぞんざいになる。つまり物を乱暴に扱うのです。それが昂じると例えば戸が壊れたり家が傷むのではないかと思ったり、近所からクレームが来るのではないかと心配になる程です。

 

それで、わたしは妻との口論では、とことん問い詰めたり、理詰めはしません。最後は、わたしにも非があると言うようにしています。妻との口論で勝ったところで、どれ程の手柄があるでしょう。

 

一歩家を出れば、四方八方は殆ど敵か助けてくれる相手はありません。家族はそれらに対峙していかねば、崩壊とまではいかないものの、その経済、人的損失は大きい。

 

最近は、しかし妻との口論では殆どわたしはわたしに理があっても、勝とうとは思いません。腹が立つことはありますが。

ペットを飼える人はきっと優しい

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210331060859j:plain

画像出典:沖縄サンプラザホテル


テレビやネット動画では、飼っているペットとのふれあい動画を幾つも目にすることがあります。家族同然に接しているのを見ると、何かとても羨ましくもあります。

 

しかし、いつも変わらずの態度で接してくれるであろうこれらんペットに対して、性格が気まぐれなわたしは、飼わない方が良いと諦めています。

 

機嫌が悪いとペットに邪険に当たる気がするのです。彼らは、そのようなわたしの気持ちが何も理解できず、慰めようもないままに、途方に暮れてしまうであろうと思うと、とても買えないと思うのです。

 

ペットにも病気や怪我もあるでしょう。

その時には、病院に連れて行ったり、看病したり、食事を工夫したりしてやらねばなりません。そんなことが、わたしには経済的にも、優しい気持ちも持って接してやれるか自信がありません。そうなるときっと、ペットもわたしも傷つくことでしょう。

 

「ペットがいるといいなあ」

とテレビや動画をみて思うばかりです。

鳥の片足立ちは何故?

f:id:yukukawa-no-nagare:20210329075226j:plain

オオフラミンゴの寝ている時の画像

画像出典:sachi animal

 

鳥が、片足で立ってじっとしているのを見かけることがあります。なんという名の鳥かは思い出せませんが、フラミンゴではない鳥でした。しかしそれを実際に目撃したのか、あるいは映像としてみたのかは今では、はっきりしません。

 

■ フラミンゴ

片足で立っているのが一番多いのは、「フラミンゴ」であるとされています。フラミンゴは、冒頭の画像のような鳥で、薄赤色をした羽の集団を見ますと、可憐な花が咲いているように見えます。あの色は食べた餌の影響よるものだそうです。元々は白い色の鳥らしい。

 

そのフラミンゴが片足で立っていることが多いのは何故か?

 

■ 片足でいる理由

笑い話的な謎かけでは、「片足で鳥がいる理由は?」の問いに対して「両足を上げると倒れるからだ」というものがあります。しかし、これでは片足で鳥がいる理由にはなりません。

 

片足でいるのは、フラミンゴをはじめとする鳥の場合のみで、睡眠をとっている時であります。すばらしいバランス感覚ですね。

 

これまでは、

「もし、その時外的に襲われることがあれば、上げた方の足が逃げ足の一歩となるので、上げていない時より早く逃げることが出来るので上げて睡眠をとっているのだ」というのが通説でした。

 

■ 研究では

海外の研究者のフラミンゴの研究発表で、この説は否定されました。片足を上げている方が、両足を地に付けているものよりも逃げ足が遅いという研究報告がなされたのです。

 

■ 真の理由

では、本当の理由は何なのか?

 

同じ研究者の研究発表の続きです。

フラミンゴが片足でいる時は、暖かい時より寒い時であることが多いことから、水の中に付けた足からの体温が奪われるのを減らすことであると結論付けられました。納得です。フラミンゴは、暖かい地域にすむ鳥ではありますが、そこに住めば住むで、暖かい日寒い日という温度差も身にこたえるということは、あるのでしょうから。

 

鳥は、身の安全を確保するために、高い木にとまるか、急峻な岩の崖か水の中と大体決まっております。水の中では、あのような無機感のような足でもやっぱり冷えるのですね。

以前から足の冷えで寝られないことはないのかな?と思ったことがありました。

 

休まず365日ブログを更新できた

 

                                          

f:id:yukukawa-no-nagare:20210328163205p:plain

画像出典:hatena



 


このブログをはじめて、丸一年を過ぎました。一日も休むことなく更新出来たことが、目標でもあったので達成感はあります。続者はその一年の半分くらいの時期には、好調に推移しておりましたが、現在は見る影もなくなり、ゼロの日もあります。

 

内容が面白くなくなって来ているのかも知れません。

しかし、わたしは受けのいい内容のものを書こうとは思っておりませんし、読者数を増やして小銭が稼げれば良いなとも思いませんでしたので、残念ではあるものの、諦めております。

 

文章を書くということに対して、次のような二点で基本姿勢で臨んできました。

 

■ ① 書きたいことを書くだけ

一つ目は、受けが良いものより、書きたいことを書くです。それは、興味が持ってもらえるものであったらいいなという程度の事ですので、大方がそれに該当しません。仮に幾らかは受けの良いものを書けても、長くは続けられませんから。人に読んでもらえなかったら、書き続ける意味はないのかも知れませんが、思いが文字になればいいとだけ考えています。

 

書く分野も、絞ってはおらず、今日は家庭、明日は経済、あさっては科学という風に、あちこちに「下手な横好き」風になって、折角の読者の意に沿えないこともあり、アクセス数も伸びないままでした。

 

■ ② 文章の書く練習

このブログでは、文章の書く練習のつもりでも開設しました。従って、「はてなブログpro」を利用しませんでした。今後も、たぶん利用しないと思います。文章を書くのは嫌いではありませんが、何かの習慣が無いと書きづづけられないので、ブログを始めた訳であります。

 

■ ③ 精神修養

一日も休まずに一年間続けることは、精神的につらいことがありました。「今日くらいは休んでもいいだろう」とか「読者もホンの少しだから」などということを理由に余程休もうかと思ったこともありましたが、精神修養のつもりもあり、何とか続けてきました。

 

今後は、一年間一度も休むことなく更新することが達成できたので、毎日の更新を殆ど義務のようにするのは止めて、もう少し気楽に書いていけたらと思っています。勿論、出来るだけ切れないようにはしたいとは思っておりますが。