聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

続 5羽のスズメ

 

画像出典:Canon グローバル


過日、「5羽のスズメ」と言う名のブログを書きました。その書き出しは次の様なものでした。

『わたしの住まいは、住宅街の角地にあって、道を挟んだ向かい側にも中年夫婦の住まいがある。その家では小鳥を飼っているらしく、毎朝主人が道端に出て、餌の殻を吹いて飛ばす。その作業が終わると、遠くから見ていたらしいスズメが飛んでくる。

 

目的は無論、小鳥の餌の殻やその時に一緒に飛んだ餌その物にある。それが、スズメたちのごちそうなのである。それを待っているのは五羽のスズメたち。』

 

■ スズメには味覚がある?

本日は、この五羽のスズメたちに、先のブログ以降にわたしもほんの少しの餌を撒くようになりました。同時に単なる餌やりを少し押し進めてスズメには味覚があるのか?を、考察してみたいと思います。

 

わたしがスズメたちに撒く餌の中身は多様です。

パン屑であったり、米飯の残り、現在店頭に多く並んでいる収穫されたばかりのトウモロコシの粒のかけら、ピーナツの砕けたもの、床に落ちた菓子片などです。これらをいずれもスズメの口に合うように少し砕きます。

 

野菜も娘が小さく切り刻んで与えてみましたが、見向きもしませんでした。多分、それはもっと新鮮な近くの田畑で調達できるからでしょう。

 

僅かなわたしの撒いた餌を無心に食べているのを見ると、ふと、スズメにも味覚があるのだろうかと考えました。

前回のブログでは、餌に紛れて小さな紙きれを混入してみましたが、食べませんでした。

「ぺっ、何や紙かいな」

てな感じで、紙きれを咥えて直ぐにプイと吐き捨てました。

 

『紙は食い物じゃあないとわかるのだから、味覚は有って、存外に鋭いのかも知れない』

とわたしは考えました。どんな風にすれば分かるのだろう。味なのか?匂いなのか?

 

 

■ 柿ピーを与えてみた

それは、夕食前のビールを飲んでいる時の事です。

つまみの「柿ピー」を見ながら、この柿の種の形をしたオカキをスズメにも少し残しておいてやろうと思い、かけらを少し除けて置きました。この時には、純粋にこのオカキならスズメも喜ぶに違いなかろう、と考えて事でした。

 

余談ですが、柿ピーはビールのつまみには相性がよく、柿の種をしたオカキはピリッと辛いので、それを中和するのにビールを一口のむ。すると、何故か柿ピーが食べたくなって、2-3個を頬張る。

この繰り返しでビールが自然と進む。

『ビール会社と結託した商品かもな』

などと思ってしまいます。

 

ビールを飲みながら、ふと

「さて、このピリッとした柿の種状のオカキをスズメたちは、ごく普通に食べられるだろうか?」

と言う疑問が浮かんだのは、意地悪なわたしの好奇心からでした。

そこで、スズメの口に合うように砕いて、他の餌と混ぜて与えてみることにしたのです。

 

■ 結果

さて、結果です。

スズメは、確かに一度はこのオカキ片を嘴に挟みました。しかし、紙の時と同様に「ぺっ」と即座に吐き捨てました。そして、他の餌に移ります。それを見ていた、他のスズメが、吐き捨てたものを嘴に挟んではみるものの、同様に吐き捨てます。

五羽のスズメの殆どが同じ動作をしたのです。

 

つまり、ピリッと辛い柿の種のオカキはスズメの口に合わない、と言うことでしょう。即ち、嘴に挟んだ段階で、食べることが出来るか否かが即断出来るということに他なりません。なんでも滅法につついて食べている訳ではない訳です。

 

しかし、その他の餌が平らげられた後に残された柿の種のオカキ片は最終的には、五羽が食べてしまいました。それを、目撃しませんでしたが、餌は見事に食べ尽くされていたのです。辛いので食べたくはないが他の食べ物が食べ終わって飽食したのでなければ、辛くとも食べるしかないと考えたのでしょうか。

 

その後は、柿ピーの撒きえはしないことにしました。スズメは、甘いお菓子類はわたしと同様に大好きですのようなので。

 

 

 

政治家

画像出典:日本経済新聞

凶弾に倒れた安倍元首相の国葬が発表されましたが、異論は沢山あると思います。

わたしは、安倍氏が好きな方であるけれども、国葬をする程の功績はないように思えます。

氏の一番の功績を上げろと言われれば、

「日本の国際社会での知名度を高めたかも知れない」

です。

 

アベノミクス三本の矢は今でも正しい経済政策であろうかと思いますが、それが成功しなかったのは、消費税の2回にも渡る値上げでした。

 

早く言えばアクセルをフカしているのに、それ以上に強力なブレーキをかけているのと同じでした。次第にアクセルは弱くなり、ブレーキがかかったまま、今日に至っています。

 

即ち、政策はちぐはぐでした。それには、財務省の消費税上げの横やりを、良くないとは知っていながら断固として突っぱねられなかった安倍氏の最終的な判断の弱さだったのです。これに加担した野党も攻められるべきでした。

 

もし、消費税を上げないままにアベノミクスを貫けば、日本経済は復活していたことでしょう。残念でなりません。

 

安倍氏の政治経済的な功績はほぼありません。これはいくらわたしがネトウヨであったとしても、認めざるを得ません。従って、安倍氏国葬はやるほどではないと言えるでしょう。

 

また、宗教団体の関わりについても、色々と週刊誌が報じています。

まあ、政治家が清廉潔白であろうはずもなく、一政治家のすべてを信じるに足りません。このあたりは国家間の利害と大して違わず、損得勘定で動く人たちです。

そのことを理解しなければ、一つの事を針小棒大に見てしまう。その方が危険です。

戻り梅雨(つゆ)

画像出典:朝日新聞デジタル

 

今年の梅雨明けは、早すぎました。

大阪管区気象台は6月28日、近畿地方梅雨明けしたとみられると発表した。 観測史上最も早く、近畿地方で6月の梅雨明けは初めて。 平年より21日、昨年より19日早かった。2022/06/28』(出典:京都新聞
 
そんな筈はありません。

 

京都では例年、7月の半ば(17日頃)に行われる祇園祭が過ぎて初めて梅雨明けと決まっていましす。

現状では、梅雨は健在の様で、例年通りに毎日鬱陶しい。

 

気象関係の人は、

「これを、戻り梅雨」

などと言って、梅雨明け宣言が失敗していることを隠蔽しようとしたりていますが、まあいいでしょう。

 

7月中頃過ぎには、梅雨は空けそうです。

休日は何をされていますか、と女性は問うた

画像出典:カラパイア
画像は史上最悪のマスクと言われるもの で、当ブログにかなり関係が深い

 

わたしは、建築畑を歩み続けてきました。

力のいる仕事では務まらない程の体力なので、建築業界に入る前から設計や管理の畑を歩いて行こうと決めていました。大病を高校時代に患ってからの決心でしたので、迷いはありませんでした。

 

建築設計事務所にを最初15年程度勤務してからは、実入りの良い建設現場に出て図面を描いたり、業者に図面を描く指示したりする、工務の仕事へと移り、同時に個人事業主として独立もしました。

 

働いて来たのは、日本でも4社のみと言われる超大手の建設会社が殆どでした。その現場ですら、十数億程度の規模であれば、女性は事務員一人以外にはおらず、後は男ばかで現場監督人やわたしを含めて10人足らずです。

 

わたしは、自営業者(個人事業主)としてその大手の建設会社に入りこんでいて、服装も身分も建設会社社員と同様の扱いでしたので、割と快適でした。

 

従って、仕事の多くは事務所内である事から、朝の朝礼時には女性事務員とわたしだけが事務所に残る事が殆どであったのです。

 

この業界では女性事務員は、若い年代の人は殆ど言っていいほどおりません。

 

平均すれば40歳代半ばと言ったところでしょうか。なかなか、厳しい仕事なので、若い人は殆ど集まりません。

 

わたしがこれまで居た現場でも50歳以上の女性しか巡りあうことはありませんでした。と言う状態なので、当時はわたしは結婚しておらず、また、その有力な候補者も見つけられないまま、多忙な日々を送っていました。

建築現場は、その工事が終わればまた違う土地に行ってそこで工事となるので、いわば旅芸人の様なものでした。

 

そういう中で、この話に出てくる女性は、そのうちの現場に居合わせた一人で、こんな会話をしたことが、数多い現場で一番記憶に残っています。

その事務員の女性は歳の頃55-6歳で、男ばかりの現場事務所を渡り歩いている人なので、男の扱いも慣れたもので、わたし達にとっては、男たちの母親の様な立場にありました。

 

■ 会話

それは、全員が現場に出て朝礼があり、わたしと女性事務員と二人だけがそれに参加することなく、事務所に留まっていました。その時部屋は、初冬でエアコンの吹き出し音だけが、流れていたのを思い出します。

 

女性事務員の机とわたしの机とはそこそこ離れていて、話すことはあまりなかったのです。

 

朝の掃除と言って、机の上の拭き掃除をして回る女性事務員はわたしの机も拭いてくれることがありましたが、大抵の場合図面や書類だらけで拭く程の余地は殆どありませんので、そういうわたしの席を見渡して、来ることは殆どありませんでした。

 

しかし、その日はわたしの机の上が珍しく片付いていました。

会話をした時はその時でありました。

女性事務員は、

『お早うございます。いつもお早いですね』

といい、顔を上げたわたしを見て、にっこりと微笑みました。わたしもお早うございますとかえしたと思います。そこで普段は終わるのですが、女性事務員はわたしの方にやって来て、わたしの机の空いた部分を、撫でつけるように軽く拭いた後で、

『聖護院さん、仕事がお休みの時は何をされていますの?』

と独身男に興味があったのかそう問うたのです。

 

『はあ、何をって』

『デートとかされないのですか?』

『はあ、彼女が居ませんので』

『まあ、お可哀想』

 

そう思うのなら、誰か紹介してくれてもいいだろうに、とわたしは思いました。

『紹介できるような人がいればいいのだけれど』

わたしの心を見透かしたように言って女事務員は、遠くを見るような目になりました。

 

『それじゃあ、ずっと家にいるのですか?』

『はあ』

わたしは、これまでそれ程この女事務員と話したことは無いので、その日に限ってこれ程話しかけてくるのを訝しく思いました。そして、何だかこれ以上の会話が面倒臭くなり始めていました。

 

『休みの日は、凄く暇ですので、金玉の皺を伸ばしてくつろいでいます』

と言ったのです。

『はあ、金玉の皺、、、』

そう繰り返して、大仰に顔を真っ赤にして笑い出しました。哄笑です。そして、なかなか納まりません。笑いながら自分の席に戻りましたが、そこに至っても笑いが止まらない様子。

 

現場の朝礼から戻った男たちで、事務所も騒然とし始めましたが、女事務員は、思い出すのか、ひとり笑いが終日に渡って止まることがありませんでした。

 

今の時代でしたらセクハラとなるでしょうけど、その時は普通にこの程度の会話は有ったのです。良い時代でしたね。

 

アニメ「ゴルゴ13」

画像出典:さいとうプロ

ネットで会員になれば、映画の一部が見放題というのがあって、娘がそれに加入しています。わたしのパソコンで見ることが出来るようにしました。勿論、居間のテレビでも同時に違う映画を見ることも可能です。

そのシステム自体はわたしはよく理解していませんが、内外の映画やアニメが見られるので、重宝しています。

 

テレビを見ない分、外国映画や日本映画も面白そうなのはよく見ています。

 

■ アニメ「ゴルゴ13

そこでは、アニメの「ゴルゴ13(さいとうたかおプロ)」シリーズ全話見ました。ビックコミックに連載され始めて数年からのファンで、立ち読みや分厚い何話かの特集本も買いました。が、これまで見逃した話数の方が多いくらいです。

 

Wikipediaを引用します。

 

ゴルゴ13』(ゴルゴサーティーン)は、さいとう・たかを/さいとう・プロダクションによる日本劇画1968年昭和43年)11月から小学館ビッグコミック』にて連載中。超一流のスナイパー(狙撃手)・暗殺者「ゴルゴ13」ことデューク東郷の活躍を描く劇画である。

リイド社より発売される単行本(SPコミックス)の刊行数は単一漫画シリーズとしては世界一となる204巻を数え[3]、2021年(令和3年)7月にギネス世界記録に認定された[4]。同年3月時点でシリーズ累計発行部数は3億部を突破している[5]

連載継続中の漫画としては日本で4番目の長寿漫画[6][7][注 1]である。 また、さいとう自身の手による連載期間は2021(令和3年)年10月掲載分までの52年11か月となったが、この数字は同一作家による連載漫画としては日本で4番目の長さとなる。

 

 

例に漏れず、社会が移り替わり何十年と言う年月の変遷があっても、主人公は歳を重ねることも無く、完全無比な思考、強靭な肉体と視力は相変わらずの活躍ぶりです。世界一のスナイパー(殺し屋)が、老いて仕事の依頼が受けられないようになる話では、本は売れずアニメも見られないということになるのは非を見るより明らかですから当然でしょうが。

 

市販の漫画本でのわたしの知っているゴルゴ13は依頼主と話すときは、タバコを吸っていました。そして、狙撃依頼を受けた時には、吸殻を中指でピンと撥ねて飛ばします。それがまたかっこいいという訳でわたしもタバコを吸っていたころには真似たものです。

 

最初は中指で撥ねるとタバコの包み紙が破けて、火が自分に降りかかるというような惨事が幾度かありましたが、次第にうまく行くようになりました。しかし、わたしはゴルゴ13より早く禁煙しましたが。

 

■ ゴルゴ13はタバコをやめた

アニメ中で「ゴルゴ13」がタバコを一本も吸う画面は見ませんでした。

意図して吸わないことになったのは、社会的規範で製作者が意趣替えしたのでしょうか。ゴルゴ13が、健康上の理由で自主的に止めたのかも知れませんが。

 

うーん、個人的にはタバコを吸いながらゴルゴ13が、狙撃依頼を聞く場面や一人ホテルの窓際に立って吸う姿は好きだったのでとても残念な気がします。さりとて、ゴルゴ13が携帯用灰皿を持って、そこで吸ったタバコの火を消すというのも無様です。

 

まあ、時代の要請する規範や風潮はアニメにも色濃く入り込んでいると感じた次第です。ゴルゴ13はいつもながら面白かったことは、付け加えておきます。また、ゴルゴ13の声優さんには、舘ひろし氏がされていて、最初は違和感がありましたが次第に、慣れてピッタリかなと思えるようになりました。

夕方のテレビニュース

 

画像出典:出典先を失念しました


夕方のその日にあったニュースなどを見ることがあります。そのうち事件や事故はわたしとしては、注意してみる方です。と言うのも犯罪などのニュースは、明日はわたしの取る行動となるかも知れないと思うから。

 

しかし幸いにもその兆候は今のところありませんが、いつ何時そのような当事者にならないとも限りませんしね。

 

■ 犯罪ニュース

さて、テレビでの犯罪や事故のニュース報道の仕方は一様ではありません。ごく普通にアナウンサーが原稿を映像と共に間違いもなく、スラっと読んでお仕舞いと言うのが一般的です。

が、わたしが変だなとも面白いとも思うニュース報道方法があります。それは、アナウンサーが容疑者の供述部分だけ、声色(こわいろ)を変えて読むことがあります。それは、夕方のニュースの時に殆ど限られています。

勿論、夕方に流したニュースを夜にも流すという、使い回しがありますが。

 

例えばこんな風です。

 

「容疑者は、警察の調べに対して

仕事が上手く行かず、むしゃくしゃしてやった。自分がやったことに間違いはない

と、容疑を認めているということです」

 

『』の中の色付き文字部分だけを、アナウンサーは声色を変えて読み上げるのです。別に悪くはないし、印象に残る方なので読み方としては適切とも言えなくはない、ではありますが、わたしはそれを聞く時

 

『えへへ、声色を変える必要があるん?』

と口をついて、ついつい独り言ちる事がよくありますし、そういう言葉が出ない場合でも条件反射の様に人知れずニヤッとしてしまう。

 

それを見ていた家族は、

『お父さん、ナニを笑ろてん?』

と訝(いぶか)し気に問う。すると、他の家族は同じニュースを見ていながら、わたしのように部分的な声色に変化を持たす読み方が特段に可笑しいとも、変だとも思わないということであるから、

『いや、別に』

と答えることにしている。

 

 

車の中の匂い

 

画像出典:ディオナチュレ


過日、車を運転していますと、足元から不快な匂いが立ち上がってくるのを感じました。何か、食べ物が腐った時の様な「饐(す)えたた匂い」でした。強烈と言うほどではなく、かすかに漂って来て、途切れることがありません。

 

同乗の妻にも匂いを確認してみました。妻は、鼻が人一倍敏感で、まるで犬の様な鋭さです。わたしが匂う位だから、妻も感じている筈であると思ったのです。

『何か臭くない?』

というわたしの問いに

 

『臭いけど、それはこの車に染みついている匂いの気がする』

と答えて、確認するように犬の様にクンクンと鼻を鳴らしました。

この後、我慢できない程でもなかったので、目的地に到着するまで、車を停めてまで原因の特定はしませんでした。

 

■ 目的地にて

目的地に到着して妻は買い物に店内に、わたしは匂いの元を確かめようと車を降りて、運転席辺りを入念に調査しました。しかし、その時には確かに車に染みついたであろう匂いはしたものの、運転中のあの不快な饐(す)えた匂いはしません。車の運転席のドアを全開にしたことで、籠っていた匂いが霧散したのでしょうか。

しかし、たとえそうであっても、不快な匂いにの元があれば、かすかにでも匂う筈です。それが、まるでしないのです。足の裏に何かが付いていなかも確認してもそれはありません。

 

■ 帰り道

買い物を終えて妻が車に戻ってきました。わたしは、妻の買い物中のわたしの行った顛末を説明しました。

『と、いう訳で、原因は分からん。犬のうんこも無かった』

どうして、犬のうんこという言葉が出たかは自分でも不明です。

『ふーん』

と、妻は言った切で、さして興味はないようです。

 

しかしやっぱり帰り道においても、あの不快な匂いは仄かに漂ってきます。

この往復時には二人共に匂いの出どころの特定には至りませんでした。

 

■ 原因特定

しかし、家に帰ってパソコンに向かう時に判明しました。原因が特定できたのです。わたしは、パソコンをする時は大抵あの小さな椅子の上で胡坐(あぐら)をかいています。足が楽ですし寒い時には足の裏の保温も兼ねることが出来るからです。

 

そして、今回も。

そうしてあの不快な匂いは、わたしの足の裏から来ていました!

えも言われぬ強烈で、悲しいほどのえぐさ。その匂いが、わたし自身から発するという、何というかサディスティックにいい匂いとも思えることもあります。お前は変態かと聞かれそうですが。

 

それには、今回はさすがにわたしも自分の馬鹿さ加減と落胆から、妻には言えませんでした。

だからといって、靴下を何日も同じものを履いていた訳ではありません。毎日履き替えていました。足も洗っていました。ただしいい加減に。

 

が、

 

クレヨンしんちゃんのパパのヒロシの様に風呂に毎日入り、靴下を履き替えても一日の終わる頃には、このように不快な匂いを発するのです。夏の日でも、冬の暖房の効いた部屋にいる時も、まことにヒロシに負けないくらい足の裏が臭くなる。

もし何なら、匂い消しのスプレーを足の裏に直接かけたいくらいです。わたしの足の裏の匂いが異様に臭いのは今に始まったことではありません。それで何度か悲しいというか恥ずかしい思いは何度もしてきましたので。それは、また別の機会に。

 

******

わたしは、風呂場に入って、匂いが足の裏に鼻を接近させないと匂わないところまで入念に洗いました。わたしの行動を見て妻が、不快な匂いがわたしの足の裏にあると、きっと気が付いたと思いますが、何も言いませんでした。

 

鳥は餌を見てつついているのか?

画像出典:旭山記念公園

小さい頃からの疑問の一つに「鳥は餌を見てつついているのか?」があります。

まず鳥は、顔の両側面に目が付いています。人間でいえば耳辺りに目が付いていることになりますね。顔の正面についていない分、顔は平べったい。

 

その中央辺りに顔の前へ嘴(くちばし)が伸びている。飛翔する時にこれは風の抵抗を受ける部分が少なくなるので、目が顔の側面についているのは、好都合です。というより、進化の過程で自然とそうなったのも知れません。

 

頭を水平に持ち上げた鳥の画像などを見ますと、嘴の先端と側面の目の中心位置はほぼい水平に直線上にあると知れます。これには、例外もあるのですが殆どの鳥がそうなっている。

 

ここが特に重要な点のではないかと思われるのです。その理由は次に段落「■ 観察すると」で書いています。

こんなことは、ネットで調べれば容易に答えを見つけられるのかもしないが、今回はわたしの推測だけにしたい。

 

■ 観察すると

鳥の普段の様子を観察していますと、例えば、数メートル離れた位置に立っているわたしを見る時に嘴の先端方向である正面から見るのではなく、鳥の側面についている目をわたしの方に向けて確認しています。それは正面からわたしを見つけた場合であっても、確認のためには顔の側面の左右何れかの目をわたしの姿と直交する形に顔をひねって見ているのです。

 

それから考えるとどうやら、離れているものの識別には、顔の左右の何れかの目で、見極めようとする目的物に直交する形で行うと考えてよいと思われます。嘴の方向では、出来ないことは無いにしても、上手くいかないのかも知れません。

 

■ 物を啄(ついば)む時

しかし、土の上やアスファルトの上など顔から数十センチと離れていないものへの識別には、顔の正面から出来ると考えられる。というか、その方が見やすいのかも知れない。それが証拠に、地上の散乱した小さな食べ物でも、逐一側面と直交する形での確認することなく啄んでいるから。

 

それを傍(はた)から見ていると、小さな食べ物を目蔵滅法(めくらめっぽう)につついているのではなく、突くものが食べ物であるかどうかを即断していると言えます。そして、それは時々間違って食べ物でないものをつつくこともありますが、これは嘴に入った段階で味覚なのか、触角なのか分からないけれども、

「食べ物じゃあないわい」

と感じ、

「ペっ」

と吐き出す。

試しにパンのカスやビスケットの中に小さい紙きれを混ぜてまいて置きますと、鳥は間違って紙切れを咥えます、が即座に吐き出すことからも確認できます。

 

即ち、鳥が地上の顔に近い食べ物を首をあちこちに振りながら食べる時には、嘴の正面からの物の確認が即座に出来るようになっていると考えるのです。

で、それがどうしたって話ですが、どうにもなりませんです。はい。

5羽のスズメ

 

画像出典:Canon グローバル


わたしの住まいは、住宅街の角地にあって、道を挟んだ向かい側にも中年夫婦の住まいがある。その家では小鳥を飼っているらしく、毎朝主人が道端に出て、餌の殻を吹いて飛ばす。その作業が終わると、遠くから見ていたらしいスズメが飛んでくる。

 

目的は無論、小鳥の餌の殻やその時に一緒に飛んだ餌その物にある。それが、スズメたちのごちそうなのである。それを待っているのは五羽のスズメたち。

 

五羽は仲が良いらしく必ず連れだって舞い降りてくる。その様子をわたしは家の出窓のカーテン越しに見るのがいつの間にか日課になっている。わたしはその行為をしている自身に苦笑するしかない。

スズメたちは、わたしの肉眼では判別出来ない程の小さな餌をこまめにつついて、残さず食べ尽くす。

 

その間に、自転車も通れば車も通る。その度に、当家の自家用車の下や近くの屋根や植えられた木の茂みの中に逃げる。そして、人の動きを見定め安全であると判断すると、パッと又舞い降りてくる。

 

スズメの中にも豪胆なものが一羽いて、人が通ったり自転車が通り過ぎる位では、それ程慌てない。3-4メートル離れた位置をそれらが通り過ぎると見れば、逃げることはしない。他の仲間は四散しても粘って貼りついている。

 

その分、他の仲間よりは好みの物を摂る事が出来る。

 

■ 仲間

これらの五羽は、一緒の行動をする仲のよい集団ではあると思われるが、食事時には食べ物の取り合いで争いは起きる。内の一番体格のよいものが、常に他を追い払おうとする訳でもない。

中くらいのがそれをする。どういう力加減なのだろう?

それが自身より小柄なものであっても、追い払ったりしない。何故か同じ位の体のもの一羽だけなのである。癪に障る何かが追い払われるものにあるのだろう。

 

追い払われるものも、一時は退いてもそれが度重なると反抗心を出す。それでお互いに空中で威嚇しあう。けれども、決定的に争うことは無く、また地上に降りて餌をついばむ。しかし、追い払うものはどうにも腹が収まらないのか、また追い払おうとする。

 

そして、また空中でいがみ合う。

 

■ 漁夫の利

しかし、これは体の小さなものや気弱な仲間には朗報である。二羽が争っているうちに、残りの餌にありつける漁夫の利となるからである。スズメの社会でも実によくしたものであると、それを見ていてわたしは自然と哄笑が込み上げてくる。

欲張りの二羽の争いの内に、三者があっさりと横取りしてしまう。

 

何と人間と変わらないではないか。争わずに仲良く食べれば皆が平等に食べることが出来るのにと。

 

最近の恋愛ってどう?

画像出典:oggi.jp

好きでならない人ではあるが、想いは伝わらることなく片恋のままに終わってしまった。あるいは、相思相愛なれども一緒には成れない社会上制度や家柄、あるいは経済格差による壁があるというようなことは、わたしの若い頃にはごく普通に存在しました。

 

それ故、片思いにも相思相愛にも、青白い情念の火とも言うような、くすぶり続ける相手への想いが長く続くというような事もあって、数十年も経っても、それは胸が締め付けられるような切なさで心が圧倒されもしました。

 

相思相愛の間柄では、それらの障害を越えて駆け落ちということも、何度かは聞いたことがあります。その後がどうなったかは聞こえて来ませんでしたが。それでも、それ程に深く愛することが出来たとしたら、一生の内でどんなにか幸せな事でしょう。

ただ、わたしは恋愛の最高の形は悲恋で終わる事が最高であると勝手に思う者です。昔から言う様に「遂がわば何の恋の味」(恋が成就(じょうじゅ)したら、なんだこんなものであったのか?)であろうかと思うのです。

 

■ しかるに今は

しかるに今は、そのような障壁は全くと言ってありません。無論、しがない安サラリーのサラリーマンが億万長者と結ばれるというストーリーもまた、あり得ません。が、それは双方に恋愛感情が沸き上がる事があるなら、皆無ではありません。むしろ、そうなる前に諦めているふしが双方にある気がします。

しかし、そうなる機会があったとしても、二人の行き着く先は大よその見当がつくという情報化の社会になったのが、遠因かも知れません。

 

■ 情報の過多

わたし達の古き時代には今の様に携帯電話がありませんでした。今ならたとえトイレに入っていても電話がつながるというか、呼び出しがかかる時代です。たとえ、二人が好きになってもいつでも、明け透けにお互いが知れてしまって、未知なる人格すらもあり得ません。

住所も知れれば、Google earthのストリートビューで特定も可能です。

 

昔の様に連絡を取り合うとなると、自宅の電話か公衆電話という不便さ、相手の家に電話をかけて誰が出るかも知れない心もと無さもありません。いつでも何時でも互いが了解さえあれば、連絡が取りあえる素晴らしさと同時に、なんとも言えない味気無さ。

 

これでは、「秘めた恋」など出来ようもないではありませんか?誰にも知られたくないという気持ちが、二人の思いを、好きなだけ伝えるのにままならならない、互いの愛を確認する方法が限られているからこそ、そのもどかしさや切なさが募って、会えば万感の思いが迸(ほとばし)るのでありました。

そんな経験をするにも出来ない最近の若い人を見ると、気の毒な気もします。

 

■ わたしの娘

わたしにも年頃の娘がいます。また、付き合っている男性もいます。同級生で向こうから付き合いを申し込んで呉れたそうです。娘は承諾して付き合いは数年前から始まってはいます。しかし、互いに好きでならない相手であるようでもありません。

それは、二人の仲に何の障害も発生していないことといつでも連絡が可能で、仄かでも持っているであろう恋心が試練にあうことの無さが、喚起されないからかも知れません。

わたしは、昭和という不便な時代に生まれて、告白出来る機会がなかったことを恨めしくも思い、出来なかった切ない思いのまま過ぎ去ったことを良かったとも思う。