聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

「釣りをしている人より、見ている人の方が気が長い」のか

f:id:yukukawa-no-nagare:20210818115722j:plain

画像出典:BE-PAL

どうでもいいことではありますが、よく語られる命題に、

「釣りをしている人より、それを見ている人の方が、気が長いか」

というものがあります。

実際のところは釣り好きのわたしにもそれについて、深く考えたことはない。しかし、見ている人は自分が釣りをしている訳ではないので、釣れようが釣れまいが本来どうだっていいことではあります。

見ていること自体相当な暇があってのことなので、要するに暇つぶしに過ぎないだろう。暇つぶしというからには、相応の時間的余裕がある訳で、それをもってして見ている人の方が気が長いとはいえない。他にやることがないだけかもしれない。

 

■ もし、

もし、見ていて釣り人が獲物を釣り損ねても、

『うーん、残念』

などと呟きますが、実のところそれ程には残念と思ってはいません。

逆に、大型を釣りあげると

『お、やったー』

とも声を出すこともあります。

がどのみち、釣れても自分が釣った訳ではない。それが自分であったなら嬉しいだろうと身を置き換えて嬉しくなっただけのことに過ぎない。もし自分が釣ったなら、家に持ち帰って家族に自慢するかも知れない。尋ねもしない知人に電話報告をすることだってあるだろう。

 

けれども、釣りを見ているだけで、釣ったのは自分の手柄ではない。

 

■ お気楽

釣り人を見ているだけのこと、釣れても釣れなくても悲喜に大差は生じない。時間つぶしに丁度良いだけの事であるから、当事者と成れない悔しさを少しは感じながらも、見ているだけ。

まあ、釣り餌、釣り具やその周辺の雑多なものの用意は何ら必要ない。飽きれば、いつでもさっさとその場を後にすることも可能である。

それだから、とても気楽であるのです。だから釣りする人を見ているのです。

それは、丁度、テレビで何かの試合を見ているようなものです。どちらがどうなろうともあくまで自分に降りかかる喜びも無念さも本来関係がないのと少し似ています。

 

■ 釣り人にすれば

釣り人にすれば、それはそれ程気楽ではない。

釣り人は、日や時間を遣り繰りして、その上に必要なもろもろを用意して来て、家庭サービスも犠牲にして来ている訳です。

『さあ、釣ってやるぞ』

という意気込みで来ているから、何としても坊主だけは避けたい。出来れば食卓に載せられる物を釣りたいという気持ちは、焦りに刷り込まれている。それだから、餌や釣り場を替えたりする。

たとえ釣れなくても

『もう少し粘ってみよう』

となるのです。

 

■ 結論

結論から言えば、釣っている人の方が気長いと言えそうです。というか釣れてもそうでなくても粘るから。

見ている人は、暇な訳だけれども暇で無くなれば努力なしに帰るので「暇な時間が長い」という程度の話ではなかろうかと思う。まあ、釣りをしない人には、この話だって暇つぶしにしか読みたくないかも知れない。

 

 

かかりつけの歯科医院

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210817111213j:plain

画像出典:medical dok


わたしは、歯性(はしょう)とでもいえばいいのでしょうか、歯がとてもいい方でした。高校を卒業するまでは虫歯は一本もない優等生で、校医として来ている歯科医師からは、毎年褒められたものです。

それというのも、家が貧しく殆どお菓子を食べることがなかったからであろうかと、今も固く信じています。

 

■ ところが

ところが35歳を過ぎたある日、ガツンと頬を殴られたかのような鈍痛に襲われて、近くの歯科医院に駆け込むと、奥歯が見事に虫歯の末期であり、処置は直ちに抜歯する以外に手は残されていないと告げられ、且つ、わたしの歯がすでにあちこちにおいてボロボロ状態である事も併せて知ることとなりました。

 

晴天の霹靂とはこのことで、歯性が良いことに手入れが不十分であったことの祟りとなって表面化したのでした。その後は、残された歯の治療に通うこととなったのは言うまでもありません。

 

■ 歯科医師

わたしが通い始めた歯科医院は、院長が経営者でもいわゆる個人経営でしたが、余程腕が良いのか、待合室の壁には様々な資格証や表彰状の様なものが額入りで十ばかりかかっていました。

院長は、無口なせいか取っつきの悪いのが唯一の欠点で、自分の口腔の様子をこちらから聞かなければ何も話しては呉れず、治療用の椅子に寝そべったまま、工事は始まって終わる。

 

工事が始まる前に院長は、わたしの燕の子のように開いた口を覗き込み、

『あ、これは、、、』

とか

『うーん。これなあ・・・』

などと、さも大事そうにつぶやく。それを聞くとわたしも、何だか急に不安になって、

『で、どうなんです』

と聞きたいのだが、口には治療器具が差し入れられており、又、唾もたまっているのでその期を逃してしまう。

 

そして、何か甲高い音や、ガリガリと削り取る音などがしきりにして、最後に貯まった唾液を吸い取って、その器具が所定の位置に戻ると急に静かになって、

『おいおい、どうした』

と思っていると、

 

『お疲れさまでした』

と言って、若い女性の声がする。そして電動の倒れている背もたれを起こしてくれる。

『口をすすいでくださいね』

それを済ませて、口の中の容態を聴こうとしても、もう院長はさっさと自分の部屋に引き下がってしまっている。

 

『まあ、今度聞けばいいか』

と思いなががら、次の機会にも聞きそびれる。腕は確かなのでいいのかも知れないと、聞きそびれた言い訳をわたしがわたしにしてしまう。

 

もう少し、説明してくれてもいいだろうに。SNSではその指摘もかなりあるが、院長は少しも見ているのかいなのか知らないが態度は改まらない。

 

 

日本語しか話せないことの幸せ

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210816133148j:plain

画像出典:東洋経済オンライン

 


英語が話せない、と悔やむことなかれであります。いくら努力しても英語がうまくならないことは、実は幸せな事であります。

 

■ ノーベル賞受賞者益川敏英

日本の理論物理学者で2008年のノーベル賞受賞をした益川敏英博士は、ノーベル受賞式後のスピーチにおいて「わたしは英語が話せません」といって日本語で行った。英語が出来ないでノーベル賞を取り得たことに、ホールに集まった人が驚愕したと言われています。

 

何故、驚愕したのか?

世界の国で英語が使うことなく理論物理学が、ノーベル賞を受賞する程までに深く研究ができるとは誰も思わなかったからでした。豈図(あにはか)らんや、日本語のみでそこまで到達できたことに驚いたのでした。

 

■ 母国語

どんな国にも母国語が有ります。母国語しかできないのであれば、深く掘り下げた外国の研究内容を査読したり、理解するためには、母国語に翻訳する必要があります。

この気の遠くなるような作業の積み重ねがないと、それが出来ません。従って、世界中の多くの国では、それが叶わず、仕方なしに英語を完全習得しないとどうにもならないのです。

 

■ 日本語に移植

明治に入ってから、日本は欧米との文化の歴然たる差に驚愕しました。そして、一刻も早く差を埋めようと、多くの研究者や知識人が多大なる努力を重ねました。英語やドイツ語などで作られた文を、一つ一つ日本語に置き換えて行く作業です。

つまり翻訳です。

その膨大な作業に屈することなく日本語の資料として積み重ねてきました。その作業も、日本では、江戸末期には、そろばんで微分積分をする程の数学も高みに居ましたので、それらの外国の資料を理解が比較的に速やかに理解できたのでした。

 

■ 恩恵

わたし達は、その恩恵に今、浴しています。英語が出来なくとも、益川氏のようにノーベル賞までとれるところまで、日本語で考え、日本語の資料を読むことだけで、到達が可能です。どんな究極的な研究であっても日本語で考え、突き詰めることが可能です。

 

思い返してみれば、わたし達日本人が中学生前から、社会人になっても英語が上達しないのは、英語を使わなくても日々何ら不便がないからであります。

わたしも英語が喋れたり本が読めたらどんなに素晴らしいかを考えて、英語の本を幾度も買いましたが、成功しませんでした。それを使用しなければ、サラリーが入らない訳でも、出世できない訳でも、難しい理論が理解できない訳でもないからです。

 

それは、どんなにありがたいことでありましょう。総て先哲のたゆまぬ努力があっての事です。日本語しかできないことがどれほど素晴らしいことでありましょう。

 

日本企業の中には現在、英語を社用語としている会社もありますが、そんな必要は殆どの社員に必要はありません。対外国交渉の場で英語が話せる人間がいればそれで良いのですから。

 

 

鳥はオシッコをしない

f:id:yukukawa-no-nagare:20210815092007j:plain

画像出典:くまもと産業支援財団

 

買い物などに出て、乗って来た車に戻るとボンネットとかフロントガラスに鳥のフンが落ちていた、というようなことはよくあります。そのフンも臭いのもさることながら、水っぽくて落ちた衝撃で広がりも広範。

 

怒り心頭ながら、相手は野生でしかも飛んでいるので憤懣やるかたなし。

 

こういう話は、以前にもこのブログに書いた気がするけれども、忘れた。

 

■ 鳥はオシッコをしない

高校生であった頃、

『俺は、鳥がオシッコをするところを見た』

と友人が数人の仲間の前で証言をしました。一同は怪訝に思うものの、否定するには知識もなく、その場はそうかいなくらいの話で終わりました。その話で盛り上がるのは到底無理がありましたから。

 

後年、わたしは鳥はオシッコをしないということを知りました。鳥は、尾っぽをちょいと上に上げて、流動性に富んだ糞を飛ばすようにお尻から飛ばします。それは、まさに噴射すると言ってもいいくらいなのです。その時の用心でしょうか、尾っぽをちょいと上げる訳のようです。

犬がやはりオシッコをするときに上げますから、同じような意図があるのかも知れません、が犬の場合は、地面に垂直かあるいは少し立ち上がりの有るものにマーキングをしたいので片足を上げない訳には行かないという事情もあるでしょう。

 

■ 鳥がオシッコをしない理由

鳥がオシッコをしない理由は、飛ぶのにオシッコが液体として重量的に不利だからだそうで、それで糞に水分を混ぜる構造に変化したようです。

それをわたしはネットで調べて知ったのですが、

車を運転中に思い出し同乗の家族に、さも知識をひけらかすように告げますと、

『ふーん』

でありました。

豪雨が続いています 京都市

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210814123752j:plain

画像出典:熊本日日新聞社


このブログを書いているのは、現在の8月14日(土曜日)午前9時過ぎです。

外は、まさに滝が近くにあるのかと思える程に、激しい雨脚の音が断続的に続いています。わたしの住まいは、京都市全体からいえば西寄りでなおかつやや北寄りですが、近くに大きな山や崖、川がある訳ではなく、今のところ身の危険を感じはしませんが、何かこの豪雨には心が塞がれる思いがしています。

 

京都市は、東側に鴨川という市としては大きな川が流れています。この川は、京都市の中央部を南北に貫通する川であったものを、人工的に今の位置に付け替えたものです。

理由は、市を分断する位置であったことで治世上の不都合や氾濫時には壊滅的な被害が予想されたからで、その判断は良かったと思います。

 

現在、携帯に注意報や警報が続々と送られてきています。

 

■ 地名に留意

古来からある土地には、その土地の位置やあり方を如実に表していることが多いですね。例えば、沢が流れている谷間の近くの土地には「○〇沢(澤)」という地名が付いていたり、川近くの土地では「○〇川」、谷のある土地では「〇〇谷」という風に水に関連しそうながついています。

 

他にも「田」「滝」「池」「堤」「沼」「渋」なども同様です。

 

「渋」は水の流れが渋るという程の意味で良くはありません。

 

こういう土地は、それだけ水害にある可能性が高いとも言えます。家や土地を買う場合には、十分に気を付けたい事柄です。不動産業者も極力そのような名を嫌がり、新たに開発した土地などでは、まるで違う名前の地名にしたりしますが、元をたどればそういう土地である可能性はあります。

 

■ 水は命の源なれど

人は、何故か水がある近くに住まうことを好みます。水は、人間の生活にとって命を繋ぐものであると本能的に感じてしまうのかも知れません。しかし、同時に命を奪いかねない厄介者でもあります。

 

住まいが、大きな川が流れている平野部であっても、川は大方の場合、蛇行していますので膨らんでいる方は避けた方が無難です。無論、川上では膨らんでいる場合は考慮は必要ですが。

 

■ 神社仏閣付近は比較的安全

昔からある神社仏閣などの付近は、その敷地の選定に適所を選んでいることが多く、比較的水害には安全なことが多い。無論、一概には言えませんが、参考になるかと思います。

住まいは南向きを

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210813123427j:plain

画像出典:E-LIFE


日本でもその他の北半球にある国では、太陽高度の関係から南向きの住宅地や集合住宅では一番値打ちがあります。特に四季がはっきりしている位置にある国では、格別です。

日本の不動産の広告でも、もしその物件が南向きであれば、間違いなくそれをうたい文句にしています。

例えば、戸建て住宅であれば

「南向き、陽当たり良好」

ですし、

集合住宅(例えばマンション)では、

「全戸南向き」

という風に、南向きを強調します。この時の南向きとは住まいの南側が道路であったり、公園、水路などで開けていることを意味します

 

■ 南向きの住まい

南向きが何故このように強調されるのかといえば、南向きの住まいは、冬の日には長く陽光が差し、暑い夏にはごく短くにしか陽光が差さないからです。

しかし、誰しもが南向きの住まいを買えたり借りたりできる訳ではありません。そこは、割り切るしかありませんが、もし選べるチャンスがあれば、他の面より「南向き」を選んでください。

 

こう説明しますと、南側が山が有っても良いといえるのか?とか南側に大きなマンションが建っている場合はどうか、などの疑問もあるでしょう。

 

南側が山が有るところでは、そこは本来、宅地としては不向きです。冬に積雪があるような地域では、そこはいつまでも雪が消えない。冬は山の陰で陽光が差しませんし、冬でない季節でもいつもジメジメしがちです。

 

また、南側に大きなマンションがある場合は、それが建てられた時代にもよりますが、一定の高さの制限があって、マンションの北側つまり、マンションが南側にある住まいに冬日に一定の日が差すように規制されていますので、冬には全く陽光が差さないということはありません。

 

田舎の谷間にある集落の中の道を走っていますと、道の片側に殆どの家が立ち並んでいますが、反対側には殆ど無いというようなことを目にしますが、立ち並んでいる側の家々が南向きの土地であると言えます。あるいは東向き。

 

■ 南向きの次に良い住まいは?

南向きの住まいが手に入らない時には、南向きの次に良い東向きを、その次には北向きで最後に西向きとします。この順で好悪は決まります。北向きは、殆ど陽はどんな季節でも、短時間しかさしませんが、酷暑の時の西向き住まいよりは、穏やかでそう悪くないとも言えます。

 

住まいの西側が道路であるとか、東西の道路の突き当りにある住まいで西にその道路が伸びている場合などは、夏の日差しが長く差し込むので暑く、非常に辛いと言えます。ただし、西側にのっぽのマンションなどがあれば、夏の日差しは遮られて好都合ではあります。

 

以上のように、これから住まいを買おうと計画のある人は、南向きを出来るだけ選んだ方が良いと言えます。

 

 

 

食事の前にお菓子を食べる癖

f:id:yukukawa-no-nagare:20210812124022j:plain

画像出典:ナモン

夕食を妻が作っている。良い匂いも漂ってくる。

お、今夜は焼き魚か。サンマならいいぞ、ホカホカご飯と食べたらさぞうまかろう。その前にビールが飲めたら最高だろう。

 

しかし、それをわたしは待てないのである。

それで、妻の背後の食器棚の戸を引いて棚の中を見て、お菓子をゴソゴソと探る。そして取り出す。それを横目にして妻が諫める。

『ちょっと、もう少しで食事だというのに。お菓子はないやろ?』

 

その指摘は、尤もであるけれど料理が食卓に並ぶまで、それが案外と長く感ぜられる。そう、数時間後くらいに感じてしまう。そこで、叱られながらも、何ぞなか継ぎとして美味し今を凌ぐによいお菓子はないかいな?

となる。

 

■ 妻にすれば

妻にすれば、何で出来るまでにお菓子で腹を膨らすのか?子供じゃあるまいし待てないのかと疑問だろう。ご飯ももう15分もすれば炊き上がるというのに。その匂いもしきりにするではないか。

 

作っている妻は、あきれてしまうが、少しならいいだろうという顔もするので、昨日買った焼きアーモンドをポリポリとかむ。もう少しか残されていないかのように、さも惜しむように。

しかし、昨日買ったばかりだからまだまだたっぷりとある。

 

あんまりポリポリと繫く口に入れると、いよいよ妻は怒り出すに違いない。

 

そんなことを考えながら、所在無げにアーモンドの入っている袋の裏面の、栄養構成や製造年月日などを、見るもなしに見ている。

 

新型コロナウィルス 退院者日別1万人を超え

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210811135536p:plain

2021年8月10日 23時発表分 感染者

画像出典:Yahoo!


毎日午後のテレビ番組といえば「新型コロナウィルス感染拡大」の番組ばかりで、よくも飽きないものだと感心しますが、各放送局ともこれに替わる番組材料が見つからないからかも知れません。確かに予断を許さない状況にある事は確かですが、余り悲観的にならないでもよいようにわたしには思えます。

 

■ 感染拡大

新型コロナウィルス感染拡大は確かに、現状では、これまでにないスピードで広がっております。毎日全国で1万人を軽くこえる人が感染しています。

しかし、上の図でも解るように、感染から退院した人も1.1万人を超えています。感染拡大と歩調を合わせるように退院者も増えてきました。

 

これで言えるのは重症者は一定の割合で増えてはいるけれども、軽症者も非常に多いということになるのではないでしょうか。まあ、メディアは不安をあおりますが、ここは冷静に見た方が良いように思います。

 

■ ワクチン接種者

ワクチンの接種者は下の首相官邸の発表でも解ります。ちょっと分かりにくい発表の仕方ですが。

f:id:yukukawa-no-nagare:20210811141153p:plain

画像出典:首相官邸

ワクチンを一回受けた人5962万人

ワクチンを二回受けた人4328万人

総接種回数は1億291万人です。

これを見ると、まあまあですね。一回だけ受けた人は約47%で、計画の半数近くに達しました。

 

まだの人は、もう少しの辛抱です。ワクチン接種を控えている今、感染して苦しい思いをしないで我慢した生活を。

 

 

仏(ほとけ)様のことば

f:id:yukukawa-no-nagare:20210810192259j:plain

仏様のことば

画像出典:活動小天使

無学であった母は、他所(よそ)の家の豊からしい生活をうらやむことが多かった。しかし、最後まで貧しくて、満たされることのないままこの世を去りました。

 

福沢諭吉の「七つの訓」の一つに「世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です」とありますが、それを無論母が知る由もありませんでした。

 

母の晩年は、家じゅうに貼り紙をしており、その紙には次のような「おしゃか様のことば」が書かれてあった。母は、その書かれている言葉をことあるごとに読み上げて、聞きづ手に人の気楽そうな生活を羨む心を戒めていたに違いなかった。

 

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210810192259j:plain

ほとけ様のことば

 

わたしは、母に何も殆どしてやることが出来なかったことを、申し訳なくおもう。心からそう思う。

 

もし、天に召されることになった時には、母と共に暮らし、孝行がでたらどんなにいいだろうとおもう。

蓼食う虫

 

f:id:yukukawa-no-nagare:20210809110600j:plain

画像出典:Wikipedia

蓼の一例、いろいろな蓼の仲間がある

 


「蓼食う虫(たでくうむし)」は谷崎潤一郎氏の小説で、まあ面白いと思うが好き好き。ここでの内容詳細はどうでもいい。

 

そもそも、この小説題名は「蓼食う虫も好き好き」ということわざが念頭にあると思います。それで思い出すのは、谷崎潤一郎氏は、猫を複数匹飼っていて、そのうちの一匹だけをなぜかかわいがる。

それで、誰かが問うた。

『どうしてその猫ばかりをかわいがるのですか?』

すると、谷崎氏はこう答えたという。

『好き好きに理由はないよ』

と。

即ち、「蓼食う虫の好き好き」というものでありましょう。平たく言えば人の好み理由がなく、分からない。

 

■ 蓼

ここに出てくる「蓼(たで)」とは冒頭のような野生の植物で辛いので、虫が付かないとされています。わたしの故郷でも川沿いを中心に夏場にいくらでも見つけることが出来る。確かに虫が付いているのを見たことがないようにも思う。

 

また、「蓼食う虫葵に移らず」ともいう言葉もあります。葵(あおい)は虫の好む植物であるのですが、それには見向きもしない虫もいるということですね。

 

しかし、そんな辛い蓼、殆どの虫が敬遠するような植物であっても、それが良しとして食べる虫もいると言います。このように、多くの人が敬遠するような男あるいは女であってもそこがいいと思う人もいるわけです。

 

世間には、

『あんな綺麗な人に、どうしてあんなブ男が?』

といぶかしむような事例は少なくありません。また、逆もしかり。

しかし、本人にすれば、

『大きなお世話。放って置いてくれ!』

でありましょう。世の中は本当によくできていると感心する。