聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

喧嘩の相手

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画像出典:イラストヤ

 

若い時からごく稀に喧嘩をしたり、また目撃もして来ました。喧嘩をする上で最高の方法は、口で相手を納得させて、暴力沙汰になることなく終わることです。これを「戦わずして勝つ」などと表現します。

口数で勝つというのではなく、将棋の詰めのように相手にその喧嘩がいかに無駄で有るかを悟らせるような方法の意味です。そのためには、盤石と思える用意をして臨む必要があります。単に口数で勝っても、相手は不承知のままで一旦引き下がっただけですから。

 

■ 喧嘩の相手の顔色

しかし、そういう事は若い時には出来ませんし、知恵もありません。従って大抵の場合「どつきあい」に発展します。しかし、前歯が欠けるとか、鼻血が出ると互いに闘志が一気に落ちて、勝敗が付かない内に終わることがわたしの場合は、殆どでありました。

 

先輩からは、

『相手が、怒った時に顔が赤くなる奴ならやり合え、しかし、顔から血の気が失せるような奴はやめとけ』

と、喧嘩やむなしでも相手によるぞと言われていました。

 

『何で、顔から血の気の失せた奴とはやったらアカンのですか?』

と聞いたことがあります。先輩は、喧嘩に強い人でも弱い人でもありませんでしたが、勝つ喧嘩しかしないというのがモットーの人で、そういう先輩を、わたしは些か眉を潜めるたく成る思いがしていました。

 

『顔から血の気の失せた奴は、脳に血が失せているので理性が働かん。こういう奴は、何をしでかすか分からんから』

といい、続けて、

『その点、頭に血が上って顔が怒りで赤くなる奴は、まだ頭に血が巡っていて理性が残っとるから、とことんまで行かんのや』

というのです。

 

先輩の話では口論から、ブスリと刺されるような刃傷沙汰の多くのケースはこのように、怒ると顔から血の気が失せる人に多いらしい。従って、わたしやあなたが口喧嘩をしても、とことんやるかはその顔色を見て判断した方が良いかも知れません。

 

 

■ 嫁相手の喧嘩

大体、嫁相手の喧嘩は引き分けか幾分負ける位で、深入りしません。何せ、恨みを持たれて、寝込みに「ブスッ」とは防ぎようがありません。

 

 

■ 酔っ払いは別

『ただし、酔っ払いは青くても赤くてもやらん方がよい。どちらも何をするか分からんから』

と先輩は付け加えました。酔っぱらいは、ヤクザでも避けるともいいます。

 

確かに、飲むと赤くなる人と殆ど顔色が変わらない人がいます。顔色が赤くなる人は、よく飲みよく食べ更にうるさくかあっとなる人が多い。半面顔色の変わらない、ちょっと青白い人は、飲むほどに目が座って来て、無口であっても、やはりはた目にも怖いものです。

 

酔っ払いには確かにそのタイプがある。そしてタクシーの運転手を殴ったとか、飲み屋の店員に怪我をさせたというニュースは枚挙に暇がない。本人は酔っぱらっている時のことで、醒めるとよく覚えていないなどと言う落ちが多い。

 

そういう事を起こす人は酒類は、適当なところで止めたらよい。でないと、職場に居ず楽なるし、永く後悔することになるから。ちょっといい気分になったら、素面(しらふ)に近くに戻るまで、控えるかそのまま飲むのをやめてしまうのが一番得策。

人の評判が上がるのは時間が途轍もなくかかるけれど、落とすの一瞬です。

エロ映画館

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画像出典:まいどな話



二十歳を過ぎた頃のわたしは、童顔の美少年でした(たぶん)。そして、熱い血潮のたぎる夢多き(たぶん)青年でもありました。また、社会勉強には人一倍熱心であったことから、大変頻繁に、エロ映画に通うことが一時期にありました。

 

一時期であったのは、その後、仕事の得意先に彼女が出来た事と、ある出来事からでした。

 

その肉感的で二つ年上の彼女を、どのように扱って良いのかが田舎者のわたしには殆ど分からずのまま、ままごとの様な付き合いを続けておりました。今に振り返ってみると、彼女はわたしをじれったく思っていたと思えるふしがいくつも浮かびます。

 

 

■ エロ映画

今はエロ映画など上映館があるのでしょうか。ネットが普及している現在、それは不必要となって廃れたのでしょうか。

 

わたしが、彼女との接し方を勉強(たぶん)するために、通った映画館では、作品が古かったのか三本で800円などと格安で、お金に不如意なわたしには途轍もなく朗報だったのです。

 

さすがに、一本の上映時間が小一時間とは言うものの三本も見ると段々あほらしくなるもので、トイレや飲み物を買おうと、中座することも度々でしたが、他の人と顔を合わすのが面倒でもあり、顔見知りが居たらバツが悪いとの思い合わさって極限まで我慢をすることも多かった。

 

 

■ ある出来事~トイレにて

しかし、トイレを我慢するのにも限界はあります。仕方なく行くには行くけれども、出来るだけ人目が少ないと思える、いよいよ映画の核心のシーンに迫る頃に席を立つという、何の為にエロ映画を見に来たのか分からないような事も渋々するしかなかった。

 

ある時わたしが、トイレに立って用を足していると、後を追うように人の気配がして、誰かがわたしの横にたった。他に、空いている小便器がない訳ではないのに、どうしてわたしの横なのか?とは思いながらも、そちらを見る事もありません。

 

ところがふと、わたしの耳もとが何かスースーする。それは吐息に様な生暖かい風の感じで、その方向に振り向くと、わたしより遥かに年上のオッサンがわたしの下半身を覗き込んでいました。そして、わたしを見てニヤッと笑ったのです。

 

まだ蛇口を開放中であるのを無理くりに収めて、わたしはその映画館を後にしました。そして、その後そのエロ映画館には二度と行くまいと決して実行しました。なかなか、いい映画を上映するわたしのお気に入りであったので、残念無念ではありましたが、あの不快な思いを申したくはありません。わたしの、趣味には男はありませんので。

 

その後違う映画館でも違う男性に、ほぼ同様の被害を受けて、エロ映画鑑賞することからの卒業時期を感じて、爾来一度も行っておりません。

 

思うに、あのようなオッサンは、エロ映画には興味がない、来ている殆どの人とは違う趣味の持ち合わせの人であったのでありましょう。その、餌食にわたしは成ったのでありましょう。

当たるも八卦当たらぬも八卦(手相)

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画像出典:oggi.jp

 

「働けど働けど猶わが生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る」(石川啄木

この歌を書いたときの啄木の気持ちはどうだったのであろうか。このころの啄木は放蕩三昧で、このような歌が作れるところがある意味において凄い。啄木は無論自らが望んで貧しかったとも言えるが、一般社会の世相もよく見て詠んだのであろう。

 

確かに人生の一時に於いて、こういう歌の様な時期は一度ならずともあります。では啄木は、なぜ手を見たのでしょうか。天を仰いでも良かったし、仕事場に臨んで机を見つめても良かったでしょうに。実際にそれもあったでしょうが、手を見るという事の具体性は、多くの人の取り得る共通の仕草である事に共感を得られると考えたのかも知れません。

 

 

■ 手相

啄木は、手の甲、あるいは手のひらの何れをじっと見たのか?

節くれだった手の甲を見て、ため息をつき手の平に涙を浮かべたのかもしれない。我が身の不運、出藍の誉れを成し得ず悶々とする日々に、若さを浪費している焦りからあったのだろうか?

と、まあ非常に浅はかな思考は中断して、啄木が見たかもしれない啄木の手の平。本日はその手相の話。

 

 

■ 手のひら

わたしは、啄木は手のひらを一番長く見つめたと思っています。そして、こうも思ったことでしょう。

『何ぞ、運勢の悪い星の元に生まれてきたのではあるまいか?』

とか

『良い手相の筋は出ていまいか。人生が好転するような』

 

 

■ 啄木でなくても

啄木の歌でなくても、わたしも一向に人生が好転しない時などには、手をじっと見ることがあります。それは恐らくは啄木と同じで、閉塞感のある生活から何とか抜け出したいという焦りを感じる時なのです。

 

その想いの多くは、

「お金があったらな」

という思いです。人生はお金がすべてではないけれども、お金があるといいなと思うことは少なくありません。少なくないというより殆どです。家族や親兄弟、そして自分に優しく出来るのもお金があれば可能である事が多いですから。

 

 

■ わたしの手相

わたしの手相は、その筋の人のウェブサイトで確認すれば、実に素晴らしい。

一つや二つの吉相ではなく、どれもこれも吉相だらけなのです。

 

しかし、そのいずれにおいても少しも実現していません。歳を取る毎に吉相は増えて来てはいるのですが、吉相が示すほどのお金は少しも増えて来てはいません。まあ、当てにはしてはいませんが、良いのならご利益にあずかれたらいいなとは思います。逆に悪かったら、見ることもないでしょう。

要するに、

「当たるも八卦、当らぬも八卦

というところでしょうか。即ち占いの結果は当たることもあれば、外れることもある。必ずしも的中するとはかぎらないのが占いでしょう。あまり期待しなさんなということですね。

子供を知りたければその友を見よ

 

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画像出典:kakijun


成長するにつれ、子供は親の理解から段々と外れて行くようになるものです。それは、わたしであっても同じ事でしたし、親となっても同じでした。即ちいつの時代にあっても、親は子の気持ちを半分ほども理解出来ないものです。

 

しかし、それが他人の子であれば、一時は気になっても放置して置けますが、実の子であればそれも出来ません。

「一体家の子は何を考えているのかしらん」

とか

「何か悪いことに手を染めているのじゃあないか?」

と悪い方にしか捉えられないものです。

 

■ 子の友を見よ

しかし、例外は勿論あるけれども、長く仲良く付き合う友が子にあるなら、その子を観察すれば子がどんなことを考えたり、やろうとしているのかは大体察しがつくというものです。

従って、子に悩む前に常に付き合っている友達の事を子に尋ねたり、家に呼んだり、直接話してみれば一番よい。その友の動向を知る様にすればよいと言えます。

 

『長く付き合っている友達が、まじめで礼儀正しいのにうちの子は、、、』

というのであれば何の心配もいりません。我が子も、他人にはちゃんとしている筈だからです。まして、友達の話を親に時々するようであれば、放って置いてもいい。

 

「類は友を呼ぶ」という様に、全く違う性格の友はいるには居ても、そう親しくは出来ないものです。しっかりした子には、しっかりした子が長く付くもので、そこをちゃんと見ていれば、家で子がチャランポランでも、放って置いていいでしょう。おかしな道に行くことはまずあり得ません。

 

子は親の言うことが、たとえもっともでも素直に聞けないものです。わたしもそうでしたが、外に出ている時には、案外親から言われたことの受け売りの様な発言をしていたりしていることもあります。そうやって、親のことばを間接的に受け入れて行くものです。

親は、多くを言わなくてもいいし、子供を信用すればいい。その友を見ていて、問題がなしであれば。

 

気になる言葉「すいません」

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「きさま」と呼びます。室町時代には文字通り尊敬語でした
画像出典:ねとラボアンサー

 

どうしても気になる言葉があります。気になるというより違和感があるのです。

それは「すいません」です。

 

え、「吸いません?」

と思ってしまう。しかし、ネットではごく普通に書かれているので、その都度、食べ物に石が混じっていたような厭な感覚がある。

「すいません」は「済みません」でしょうが、、、

 

近年目立つ言葉です。

昔、有名な落語家が、こめかみに緩めのコブシを持って行って

『どうも、すいません』

と言っていました。あの時はそれ程に気にならなかったのは、しゃべり言葉だったからでしょう。

ネットでは、書き込みになりますから、ゴツンと来る訳です。しゃべる時は「すいません」でもまあいいでしょう。しかし、文となるとやはりそこは、「済みません」と書かなければ、と思う。これは、相当な現在において有名な人物でもこうした書き方を見かけます。

 

大体において、最近はしゃべる言葉と書く言葉が同じであることが多い。

言文一致でいいではないかという人もいるだろうが、しゃべり言葉は寿命がある。従って、ものの5年も経つと、その言葉が陳腐というか古臭いくて、誰もそんな言葉今では言わなくなる可能性だってあるのです。

 

将来に渡って残すかも知れない言葉なら、やっぱり正しい言葉をお願いしたい。ただ、ネットの書き込みもしゃべり言葉と同様、アッと言う間に消えてゆく泡沫の様な感覚であるのかもしれません。

ロシアは崩壊し、中国は怯える

 

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画像出典:au webポータル


ロシアウクライナの戦争がプーチン大統領の失脚で終戦となった場合、ロシアはどうなるでしょうか?

 

プーチン大統領の失脚には、暗殺や軍の反逆による拘束、プーチン大統領の自決などが考えられます。それはロシア国民か当事国のウクライナの手以外には表立ってはあり得ないことです。

第三国が下手に手を出すと、内政の干渉であり主権侵害となりますから。ウクライナ軍の傭兵が、突撃して手を下すことも有り得るかも知れませんが。

 

 

■ ロシアのデフォルト

現状の欧米などの経済制裁でデフォルトになり、国民の怒りが政権転覆に至ることになる可能性は高いけれども、情報統制になっているのでいつになるかは不明。デフォルトとは、債務不履行のことで、外国から借りた金が通貨安のため返済が追っつかないという状態です。

利子はおろか、元本も膨大になり、ついには返済できなくなります。通貨ルーブルは紙屑となり、ロシア国内では一輪車に紙幣を積んで、ジャガイモ2個しか買えない、と言った状態になります。いや既にデフォルトに近い形になっています。

 

■ 経済再生には

プーチン大統領はそれでも通貨ルーブルで返済して終わらると言っていますが、ルーブルのレートは実質なしで紙屑です。それで返すと言っても誰もそれを受け取りは出来ませんので、債務は山積みのままとなり、プーチン政権以降のロシア政府に引き継がれることになります。

 

プーチン大統領が失脚して新しいロシア政府が誕生しても、欧米の経済制裁は緩むことはありません。軍事力の最低限のところまでの排除、そしてウクライナへの賠償、デフォルトで滞っている外国への支払いの道筋などが決定しなければなりません。

 

国家間での債務は、債務を放棄すると貸した側の国が宣言しない限り、いつまでも残ります。債務の道筋を新制のロシア政府が示さなければ、IMFが仲裁に乗り出すことになるでしょう。そしてIMFは次の様なプログラムを提示することになります。

 

① ロシア政府機関が持っているインフラなどの運営権を外国に渡す。例えば、港湾、鉄道、資源採掘、空港、電気・通信、上下水道、公共建物などの経営権を外国に売り渡すことになります。また、ロシアが持っている債権などにも及ぶでしょう。

 

② ロシアにはロシア国外に飛び地がありますが、これらも殆どのロシア政府の財産は差し押さえられることになるでしょう。

 

③ ロシアの領土を分割して支払う事もあり得ます。日本で言えば北方領土は勿論返還してもらい、その北方の樺太辺りまで要求できるかも知れません。可能性はあります。

アメリカは、ロシアの力を削ぐことを念頭に、ウラジオストクなどの港湾や水産林業に、権利を求める可能性もあり、この戦後処理は日本に有利に働く可能性もあります。

 

 

■ ロシア国民の困窮

気の毒なのはロシア国民です。ロシアは、既に一度デフォルトに陥っています。再びデフォルトになると、ロシア国民の生活は、スターリンの時代に逆戻りに近い、将来に希望のないものとなります。しかし、ロシア国民は今のところ意気軒昂です。

現在、ロシア国民の平均的な月収は6万円ていど。それが、1/3分以下になっても可笑しくなくなります。

 

 

■ 中国

ここで、戦争の行方を見ていた中国は、ロシアへの与(くみ)することの危険を確信し、ロシアへの融和的態度を変える可能性があります。中国とて下手に台湾や日本に軍事侵攻すれば、ロシアの二の舞いとなることは明白です。

 

この侵攻が、ロシア敗戦で終結するのを見れば、中国は以前よりおとなしくはなるでしょう。しかし、アメリカはロシアの次は中国と考えており、中国の国力を削(そ)ぐ行動を強めると思われます。

口実はウイグル族の人権問題です。これを解決しなければ、中国へのアメリカの圧力は止まないでしょう。即ち、中国のウィグルからの排除です。これには、他の国々の共感と共助を得られやすい。ロシアのウクライナ侵攻と構図が似ているのです。

 

しかしこれは、中国にはおいそれとは飲めない要求です。しかし、それを口実にアメリカは中国に圧力を掛け続けるでしょう。アメリカの目的は、中国の弱体化ですので、ウィグルで抵抗しても、どうということはありません。次々と、要求を押し付けてくる訳です。国際社会も同調するでしょう。

 

この時には、ロシアはヘタってしまっているので、戦線を同じくすることは中国には出来ません。次第にアメリカや欧州に追い詰められて、国内に政権に対する批判が公然と起きてくるようになると思われます。そこからは語る程の問題はなく、中国はアメリカの軍配に下るでしょう。

 

この後のアメリカは、北朝鮮やイランなどの問題の解決に向かう筈です。

 

三回目のワクチン接種を受けました

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画像出典:東海テレビ

三回目のワクチン接種(ブースター接種)の予約が意外に簡単にかかりつけの医院で取れたので、接種しました。これまで、ファイザーを2回受けたのですが、今回はモデルナでした。

木曜日の午前中に、接種の申し込み具合を聞くのに電話をかかりつけの医院に入れますと、

『では、土曜日夕方4時半から5時の間でお越しください。接種権、問診表と本人確認書類も忘れずに』

とあっさりと予約が通り、拍子抜けでした。なんでも今回は、一日の接種を40人から80人程に拡大したとのことでした。土日は、この医院は休みなので、休日返上という事だったようです。勿論、前回もそうでしたが。

 

 

■ 一日目

受けたのは土曜日の4時半過ぎ。数人が待合室にいて、接種後20分の待機の人が殆どで、待ち時間もなく接種室に入る事が出来ました。妻も同時に接種。

 

受けたその日はごく普通の生活でした。体温も36.2度と平熱。食事も風呂も通常通り。注射が痛いのは当然で、ファイザーもモデルナも変わりません。

 

■ 二日目

しかし、翌日の日曜日には朝起きた時には37.6度の発熱がありました。妻は、37.2度。

想定内でしたのでいつもの通りに生活をしようとしましたが、足元が怪しくフラフラします。そのうち、昼過ぎに体温を測りますと、38.6度まで上昇、起きているのがやっとでした。妻は、逆に平熱に下がり、ピンピンしています。

 

注射の跡の筋肉痛は、針によるもので、ワクチンでなくとも同じように痛みが出たこれまでの筋肉注射の症状と変わりません。そのほか、膝や太ももの外側に何故か筋肉痛がありました。特に変わったことはしていませんので、ワクチンの副作用かなと思います。それも、脚を引きずる程の物でもなく、少し痛みがあるという程度。

 

夕食はお粥を啜って、風呂も入らず6時半頃寝ました。一日我慢していたので疲れたのか、就寝間もなく眠りに落ちました。

 

■ 三日目

昨日の夜は一度も起きずに目が覚めたら起きるべき時間。早めに寝た事もあり、熱は37.6度に下がって、朝食はいつものパンとコーヒーを摂りました。が、熱のせいか美味しくありません。味覚がないという訳ではなく、味は普通にするが、美味しいと思えないのです。

 

そのまま、パソコンに向かいましたがやる気が起きません。それでも休みを入れながら1時間半程度まで頑張ったのですが、思考が定まらないのかミス連発で午前の作業はここでお仕舞としました。先日あった筋肉痛は殆ど無くなりました。

昼食は、久しぶりにカップ麺と思い、買い置きを食べ出しましたが、ムカつきが波状的に起き、やっとの思いで汁だけを少しすすりました。

 

その後は、パソコンに向かう気力も失せて椅子の上に、廃人のように日長掛けていました。布団に入って横になっても良かったのですが、多分直ぐに寝入ってしまいそうです。その分夜が眠れなくなるのも辛いので起きていることとしました。

 

夕方には、少し熱も下がり、37.2度となりましたが、オデコの真ん中の辺りに何か重い感じが残っていて本調子とはいきません。が、ひところに比べて格段に良くなりました。

前日まで大事をとっていつも行っているストレッチ体操などは接種後は控えておりましたが、この日は申し訳程度に行い、午後9時に床に就きました。

 

■ 四日目

朝の起床時は額辺りに少しモヤモヤ感がありましたが、10時頃には無くなって、平常に戻りました。以後、後戻りすることもありません。

 

同時にワクチン接種した妻は、前回もそうでしたが少し体温が上昇する日もあったものの、普段と何ら変わらぬ元気さ、こんなに人によって症状が違うのですね。この差は何なのでしょうね。

 

 

#ロシアウクライナ

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画像出典:au webポータル

 

ロシアがウクライナに軍事侵攻していることは公知のとおりです。

侵攻の理由は、当のロシアのプーチン大統領の発言の外に、各界から色々と色々な人が述べていますが、どれもそれなりに当っているけれども、決定的な原因ではないような気がします。

 

日本人からすれば、不可侵条約を反故にされた上に北方領土を不法に占拠されている現状を見れば、国際的に独立国家に軍事侵攻を許せない気持ちは当然にありますし、日本人として現状のロシアを忌々しくみるしかありません。

 

ロシアという国は西欧に攻め入られ多大の損害を受けた大変に気の毒でもある国である反面、近隣諸国に対する戦争で蹂躙した加害国でもありますし、絶えず内乱があった国でもあります。

 

人は、殴られたことは良く覚えていますが、殴ったことは殆ど覚えていません。そういう勝手生き物ですが、それは国であっても同じです。同じ人間の集まりであるのですから。

 

ロシアは自国が他国から侵攻された記憶は忘れてはいません。

その記憶とは、まずモンゴル帝国、更にはナポレオン、一次大戦のドイツ連合、二次大戦のドイツ連合との戦いでの多大な犠牲と損失でしょうか。

 

中でも、二次世界大戦ではドイツとの戦いで2700万人という戦死者を出しました。これは日本の死傷者300万人の9倍です。また、負傷者は270万人と日本の戦死者に迫る人数でした。

これらの相手は、西欧であり今も西欧に潜在的な恐怖心と猜疑心を抱き続けています。

その気持ちを更に助長したのは、国内での戦後のマルクス主義の犠牲です。スターリンの時代には30万人が処刑されたと言います。

 

そういう中で、西欧嫌いとなるのは仕方ないかも知れません。しかも、ウクライナが西欧に接近するなどと言うことは、ジンマシンが出る程厭なことであったと言えます。

それは、絶対に認めたくないという気持ちが理性を制しています。ウクライナキエフは日本で言えば奈良か京都の様なロシア歴史の発祥の地でもあり、尚更です。

 

その思いに同情は出来ますが、だからといってウクライナという今では独立国に武力で侵攻することが許されるものでもありません。されたことと同じことをしては、その主張の正当性はありません。

この戦争には戦力の差は歴然ですので勝つ事でしょう。しかし勝っても、いずれは高い代償を支払うことになる筈です。

 

 

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さて、この先はどういう展開になるのでしょうか?

 

■ ①ロシアの軍事攻勢でウクライナが陥落する

ロシアの軍事力をもってすれば、ウクライナを軍事攻略することは、通常兵器で充分に可能でしょう。

現状では、ウクライナの軍備はソ連時代の旧式のものが殆どですが、モスクワまで到達可能なミサイルも含まれています。これを最後には使う可能性もゼロではありません。それをロシアは念頭においていて、チェルノブイリ原発を一番先に押さえたものでありましょう。原爆作るか隠し持っている筈だと考えているのです。

 

今後、早期決戦を目指すロシアの攻撃は激しさを増し、最終的には首都制圧を成し遂げるでしょう。首都進撃に抵抗にあって難攻しているとの報道もありますが、大した武器は使用していませんのでそうなっているだけです。首都陥落まで持って行くのは、交渉次第と考えているのでしょう。

 

仮に親ロシア政権をウクライナに無理くりに樹立させたととしても、現ウクライナ大統領が生きている限り抵抗はするでしょう。現ウクライナ大統領には、国際的に主要な国の支持がありますので、どの国もロシアによる新たな親ロシア政権を傀儡政権として認めないでしょう。

 

ロシアは、ロシア軍を駐留させないとは言っていますが、抵抗にあえばウクライナから出て行くことは出来ないでしょう。つまり戦争の泥沼化です。

 

 

■ ②ロシアの経済疲弊により国内での批判が高まる

ロシアは世界の主要な国の金融制裁に合い、経済は疲弊してデフォルトかデフォルトと同じ状態になることは間違いありません。物価が高騰し、生活物資が極端に不足して、国民生活は窮乏状態に陥ります。パン一切れにバケツ一杯のお金が必要というような事態です。

国民の不満の一部は、欧米にも向かうでしょうが、その殆どがプーチン大統領に向かう様になるでしょう。そのためにも、早期に決着をつけなければならないと考えているでしょう。仮にプーチン大統領が失脚して誰が大統領になっても、世界の金融制裁はそう簡単に緩むことは無いでしょう。

 

 

 

■■■ 解決の選択肢■■■

プーチン大統領がクーデターで失脚し、新しい大統領が誕生して、無条件停戦と軍の撤退に至る。

 

今はロシア国内では、表立ったプーチン大統領への不満は限定的ですが、次第に数は増加するでしょう。その高まりが最早押しとどめることが出来なくなると、期を見計らって軍や政治家がクーデターを起こすこととなるでしょう。これまでの独裁国家に見られた構図です。これがロシアにとってはひとまず、世界中の国にとっては最良の結果となるでしょう。

 

 

ウクライナが親ロシアへとなびくような政権と変貌する。

 

これは、現大統領が世界に向けてロシアの意向に従うと宣言することになりますが、可能性は核兵器をロシアが使用するより少さいでしょう。

 

解決には以上の二つしかありません。

停戦合意、ロシア軍撤退でロシアは、ウクライナに膨大な賠償責任が生じます。人的被害と国富被害に対する補償です。ロシアの経済は脆弱で主力産業は天然ガスなどの地下資源でしかありません。ロシア国民の生活は再び窮乏を強いられる辛い時代が始まるしかないのではないでしょう。

 

■ 最後に

最後に、今のアメリカにとって目の上のたん瘤はロシアと中国です。ロシアを弱体化すれば、残るは中国のみです。中国に専念して弱体化を進めてこれにもいずれ勝利すると思います。

今、一番ロシアの孤立を喜んでいるのは、アメリカで一番苦しんでいるのはロシアで、不安で一杯な中国という構図でしょうね。バイデン大統領はプーチン大統領は「ヘタをこいた」と言って笑っていることでしょう。

 

アメリカに逆らって繁栄出来る国などこの地球上に無いのかも知れません。

直ぐやらない人

 

 

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画像出典:ダイヤモンドオンライン


物事に期日がある時には、わたしはそれが発表されたり自分でやる決心したりすると、即座に取り掛かる方です。先延ばしにしても、やることは決まっているのだから、早めに始めて出来る限り用意万端と思えるところまで進めておきたいのです。

 

それでも、間際になって手落ちがあって、解消に冷や汗をかくことも少なくありません。わたしには、どこかに詰めの甘さが必ずあって、そうい事に大抵の場合で成るのがごく普通なのです。

これは、これ程に長年生きて来ても埋めようのない能力の欠如であって、出来るだけ早く始めてそれらを極力少なくするしかないといつも思う。それで、何でも早く始めないと気が済まないのです。

 

 

■ 妻は

一方、妻はわたしとは正反対。

わたしはわたしのやるべきことさえやればいいのだけれど、妻のギリギリまで放っておく遣り方には、口は出さないものの相当に気になる。わたしの性格からして、ギリギリまでの放置がありえないことに思えるのです。その先延ばしの心根が理解しがたい。

 

しかし、ここでわたしが利害があるとか、関りを持っている以外では、とやかく言えるものでないし、ギリギリのところではそれをやるのだから、黙っているしかありません。

 

それでもたまりかねて、

『例のあれ、もうやった?』

といかにもこの場で思い出したように聞いてみます。その場合大概、妻は

『まだ何も手を付けていない』

と答えるのが常です。

 

『早くしておいた方がいいよ』

とわたしは平静を装って返します。

『わかってるって!』

と少しいら立って答えたりされると、

「わかってるなら早よ、せんかい!」

と内心で怒っても口には出しません。

 

これまでから、やるべき期日が近づくと、妻は深夜に及んでまでそのことに係りっきりになったり、早朝暗い内から起きて行ったりするのを見ているから。それは、妻の性格なのです。これは、一生変わらないでしょう。

 

 

■ 早くしなかって良いことも

何事も決めたり決められたりすると、直ぐに取り掛かるのは良いことだと思う。しかし、そうでないこともしばしばあります。しかし、しばしばです。その時の判断は難しい。

 

早くやらなかったことで良かったこととは、何かの重大な判断や決断を下さなければならない時にあります。考えが足りないこともありますし、状況が日時が経つと思わない方向に向かうことがあります。

 

手続き上の事なら、決められたことをすれば完了しますが、何かに決断を下す時には熟考も必要です。即断して無論良いこともありますが、期日までに状況が大きく変化して、自分に有利になる場合や正反対に自体が動くこともあります。

 

この時には、ギリギリまで行動や判断を遅らせることも選択肢で良いと思います。が、先に書いた通り、決められた仕事や手続き用意などには即座に行動した方がよい。

聞いていますか?奥さん。

 

 

 

 

いい夫婦とは

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画像出典:ロケットNEWS

 

夫婦で暮らすということは、相手の性格や人格に妥協して生活するということにほかなりません。しかし、互いに結婚するまでは、およそ別世界のような暮らしをしており、家族との生活習慣もまるで違います。

 

このような二人が、結婚して生活する時には、どのあたりで相手に折り合うのかということが重要な点です。折り合う点を取り上げるとすると枚挙に暇がなく、余所(よそ)から見れば些事とも思えるようなことも、毎日顔を合わせて生活するとなると、耐え難い嫌悪に至ることもあります。

 

■ 性格の不一致

よく離婚するときの理由に「性格の不一致」などと言うことが挙げられます。性格の不一致は、性生活の不一致のことだ、決めつける人もいますが、そればかりではありません。むしろ性生活にはそれ程の問題とはならないもので、実際にはやはり「性格の不一致」という表現を額面通りに理解して良いと思います。

 

性格の不一致とはいっても、自分自身で自身のことを嫌悪することだってあるのですから、たとえ親兄弟でも一致を見るなどと言うことは断じてありません。況や夫婦おばと言わねばなりません。それは分かっていても、相手の考え方やそこから起きる生活習慣などと言うものには、

『なんでそうするのか?』

とか

『わたしだったらそんなことはしないのに』

と一人首をかしげるような相手の行動があります。しかし、それらは全く拒否すると、トドの詰まり、非難合戦から始まり、関係のないことまで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となります。

 

■ 長く夫婦を続けるには

長く夫婦を続けるには、相手のそれらの一部を自分に取り込み相手もわたしのそれを取り込んで、性格や人格の違いとしてぶつかる部分を一種のボカシのようにするしかありません。詰まり中間地帯(緩衝材といってもいい)の創設であります。

 

それは、意図的にというのではなく、受け入れても良いと思えるもの同士であって、いわば相互乗り入れの電車のようなもので、努力をすれば時折に

『それはわたしの習慣だ。妻が同じことをしている』

と思えるようになるものです。わたしも知らずに裡に、妻の生活習慣や言葉使い、考え方などとを行っていることもあります。

 

それは一見仲の良い円満な夫婦に見えたり、性格がよくあっている者同士と見られることもあるでしょう。しかし、実際にはそうではありません。先に書いたような緩衝地帯を遵守して暮らしているからです。

 

■ しかしもし、、、

しかしもし、それらの緩衝地帯を打ち破る事があると、大喧嘩になったり悪くすると別居や離婚ということにも至るでありましょう。

 

このようにして、暮らしていても思わない困難に直面することがあります。その多くは、仕事、お金や暮らし向き、親戚との付き合いや夫婦将来の問題であったり、子供の将来であることから発生します。

その時には、緩衝帯外でのやり取りとなり、本来の相互の性格や人格のせめぎ合いとなり、互いに遺恨の残す結末となることは避けられません。

 

そういう時にこそ、結束すべきなのですが、この折り合いが実に難しい。従って、ある分野ではどちらかが主となり、その時には助言くらいに留めて、それで失敗や問題が生じたとしても二人で対処するというような方法が良いのかもしれませんね。

 

歳を取った夫婦に仲がいい人が多いのは、このような緩衝地帯が永年の暮らしで厚くなっていたり、それを打ち破るような出来事が比較的少なくなるからでありましょう。そこまであなたなら辛抱しますか?できますか?