聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

核兵器が無くても核攻撃は可能

画像出典:ウキペディア

 

核兵器が無いと最終的には核保有国に負ける。核の前には無力である。あるいは、日本にも核兵器が必要である。などと説くジャーナリストや政治家は多くは無いもののかなりいます。右派の人には多いです。

 

しかし、核兵器を日本が仮に持ったとしても、核の管理は大変ですし、今の日本では易々とテロにもあうかも知れないリスクも大きい。多分使うことも無い兵器であり、とても厄介で金とセキュリティの掛かる代物です。

 

核兵器など持たない方が良いのは、ロシアを見ておれば分かりますね。プーチン大統領は核のボタンを持ち歩いているとか報道されています。危険極まる人物です。特に共産国は権力が集中しているので特に危ない。

 

 

■ 核はなくとも核攻撃は可能

プーチン大統領は、わたし達に、核攻撃とは何かを教えてくれました。つまり、核兵器などなくとも核攻撃は可能だということです。

 

それが、今般のウクライナの侵攻において、ウクライナ原子力発電所の砲撃でした。砲弾が発電所の建屋の屋根に爆発することなく食い込んでいるニュースは、多くの人が見た事です。

 

これこそが、プーチンの言う核攻撃だったのかも知れません。

 

確かに、原発の無い先進国などないので、通常の核兵器で威嚇されたら

「我が国は核兵器はないが、核で威嚇するなら我が国は原子力発電所を攻撃する」

と言えば、軍事他国には相応の抑止力となるかも知れませんね。

良いことではありませんが、あくまで抑止力としての話です。

結局のところ核兵器など持つ意味は殆どありません。

刑務所の飯は臭いのか?

画像出典:NBK

「そんなことになったら、お前は十分に犯罪者だで。刑務所の臭い飯を食わなにゃあならんのだぞ。分かっているのかい?」

などと言うようなセリフは、ドラマや映画あるいは、下世話なわたし達の会話でも出たりします。それを聞くと、そんなところに行って「臭い飯」は食いたくないなと、素直に感じます。

 

ただ、「臭い飯を食わにゃあならん」は、刑務所に入ることになるという、例えの話ではあります。そして、刑務所の飯は本当に「臭い飯」かどうかは別の事です。しかし、普通の清く正しく生きているわたしには、

「刑務所の飯は本当に臭いのか?」

 

と考えてしまいます。無論、刑務所にお世話になったこともないし、身近にその経験談を聞くこともない幸いなる生活者ばかりなので、本当のところは分かりません。

 

■ 刑務所に入りたい人もいる

そう多くはいませんが、働くのが面倒、今更働き口が見つけることが出来ない、などの理由で一度は出所した人が、再び犯罪を犯して刑務所に戻るというような話なら、ニュースなどで見聞きすることがあります。再び、犯罪を犯した理由は、三度の飯があるなら、それでもいい、と言う訳のようでした。

 

そんな人がいる位だから、刑務所の飯もそう悪いとも思えません。

三度の飯が臭くなくて、ビフテキや刺身などが頻繁に出るようであっても、わたしは少しもそこ加わりたくはありませんが。

貧しい飯でも我が家で食べるのに越したことはありません。

 

 

■ 刑務所の飯の実際

では、刑務所の飯がどの程度なのか、はネットで調べるしかありません。

と言うことで、冒頭の画像は刑務所で配布された飯の献立表です。ちゃんと献立表があるのは、やっぱり刑務所の楽しみって食べることくらいだからでしょうか?

この表には、ご飯の記載はありませんがちゃんとついております。下の画像は、献立表の書き起こしに、参考サイトの筆者が加筆しております。(わたしが書いたものではありません)

 

『わるくないよね、、、、』

 

画像出典:NBK

画像出典:NBK

 

ちなみに、我家と同等かそれ以上の内容です。

が、お世話になりたくはありません。

鶯(うぐいす)は春にだけ鳴くわけではない

鶯(うぐいす)の画像
画像出典:お気楽バーダー

 

鶯(うぐいす)は春を告げる鳥として、短歌、俳句、歳時記などに必ずと言っていいほどに出てきます。従って「春告げ鳥」とも呼ばれており、梅の花に鶯はよく似合うのは確かですね。

鶯の「ホーホケキョ」の美声は聴く者にとって気持ちをやすらげさせてくれます。同時に長かった冬の終わりを待ち望んでいただけに、感嘆することもあります。野球場の「鶯娘(うぐいすじょう)」もここからきているのでしょう。鳴き声が「法法華経」「宝法華経」などと表記さることもありました。

 

鶯は、スズメほどの大きさで、色は鶯色(うぐいすいろ)で保護色なので目立ちません。子育ては、雌雄交代で行います。

 

 

しかし、鶯は、春にしか鳴かない鳥と言う訳ではありません。年中鳴いているのですが、春から初夏程には鳴かないだけです。

 

 

夏場でも、茂みが深い山に入れば、

「ホーホケキョ」を聞くことが出来ます。

 

ある時それを聞いた友人が

『今、鶯が鳴いた。あいつらボケてんのか?』

と言いました。

『そうではない。鶯は年中鳴いているけど、春先から初夏以外では身近に居てもあまり鳴かないだけなんだそうだ。夏や秋冬にでも鳴く。回数が少ないだけ』

とわたしがいい、友人も、

『そうだな』

と簡単にわたしの言葉に同意して、自分の迂闊さににケラケラと笑いました。

 

オスは、初夏頃が繁殖期で一日に1,000回くらい鳴くのそうです。誰かが数えたのでしょうか。暇な人もいるから、あるいは数えたのかもしれない。が、同じ鶯が鳴いたのかは確かめようもないだろうにと、ひねくれたりします。

 

繁殖に入る春先から初夏には相手探しと繁殖活動が始まっており、しきりに鳴きかわすのが人の耳に届きやすいのはそのためでしょう。

政府予算は税金で賄われているは正しい?

画像出典:東証マネー部

政府の予算は税金から支払われている訳ではありません。

大抵の方が税金を徴収してそこから、政府予算として国会で可決された金額を支払っていると思っていると思います。多分、経済評論家の殆どの人でもそのように認識している事でありましょう。

 

しかし、よく考えてください。例えば政府が2023年の予算を組んで、それを国会承認のもとに実行しようとしても、税金はまだ集まっておりません。一部集まっているとしてもその額はほんの数パンセントにも満たないと思います。

 

つまり、予算を実行するには税金で支払っていては間に合いません。

そこで、国債を発行するのです。そしてそれを予算支払いに充てるのです。即ち予算の支払いは国債で賄われているのです。勿論、この国債は、税金が入り次第に税金と相殺されます。即ち国債の償還です。

 

毎年、この繰り返しです。つまり最終的には税金と成る訳ではあります。

 

税金の徴収が少なかったり、国債を発行して景気づけをする場合には国債残高は増えます。しかし、それが問題となる場合は、民間の貯蓄額を超えるような額の国債は発行出来ません。そういう国債の額とはなん京円という額でしょうか。

 

例えば消費税を減税すればその分は国債発行残高が増えます。しかし、何か問題があるでしょうか?何もありません。

勿論、国債がそのような気の遠くなるような院額を際限なく増やすことは出来ません。

国債が発行出来ないというか、する必要がない時は今のデフレギャップがインフレギャップに逆転した場合です。今はインフレになりデフレギャップは解消したかと言えば、解消しておりません。

 

輸入したエネルギーや食料品やその材料の高騰を除けば相変わらず不景気なデフレギャップは続いていますから。

自分が選んだ物しか籠に入れない妻

 

画像出典:UR くらしのカレッジ


妻子と食品の買い物にスーパーへ行くことはしばしばである。

妻は、食品売り場の隅から隅までを流すように見て見ないと気が済まない質(た)ち。一方わたしは、必要な物だけ買えばさっさと家に帰りたいので、妻の買い物には辟易する。が、急かすと、1日機嫌が悪いので、じっと我慢している。

 

妻の買い物は、安い物を最優先したものなので、籠の中を見ても夜の献立が想像できるようなものは、入っていないのが我家では極一般的である。それで、スーパーの中では、「本日のおつとめ」とか「お買い得品」などの黄色い札に赤文字を頼りに歩く。

 

実際に値札の通りに安いかは、わたしには分からない。妻は、どこそこの店の安売りの時の方がもっと安い、など言うから、常時使うものは価格を記憶しているようだ。

 

■ 安売り品

野菜や果物などが大盛に積まれている売場では、わたしも時々ではあるけれども、

『これが良いのじゃあないか?』

などと言いながら選び取ってカートの中の買い物籠に入れることがある。

 

カートを押している妻はその時は、わたしの顔を立ててか何も言わないで、チラッと確認するだけである。そして、次の品物の売り場へ移動する。

わたしは、自分がその商品を選んだことで満足してその場を離れる。

 

すると妻は、わたしが選んだ商品売り場に引き返して、再び商品を吟味する。そして、ほぼ確実に妻が選んだ商品と交換する。

 

レジ近くになってわたしがカートの中の買い物かごを見た時、わたしの選んだ商品はなく、同じ品の違う姿かたちの商品が入っている。妻は、詫びれる訳でもなく、選別の指摘をする訳でもない。要するに自分の選び方にしか信を置かないのだ。

何度見た光景だろう、、、

お役所仕事の極めつけ

 

 

画像出典:京都市
赤い手のマークの部分がプラケース入りCD


過日、京都市の区役所にCDとそのプラケースを分別ごみとして持って行きました。収集リストに区役所持参とパンフレットに乗っていたためです。処分するCDは割と多くあって、その殆どが仕事である建築に関するデーターが入っていたものもありました。

 

出す前にはCDはカッターーナイフで丹念に傷を付け、データーアクセスが出来ないようにしました。

 

量は30枚程度。CDの殆どはトーメイのケースに入っていたもので、収集の紙にはCDがプラケース入りのイラストでした。が、処分の際にはCDとプラケースとは分けてするのではないかとおもい、わざわざ分別して持参しました。

 

■ 区役所の言い分

暑い7月の中旬ごろでしたでしょうか。

手提げのビニール袋に入れて、12、3分かけて汗ふきふき行った。

 

窓口に持参すると、中年らしい男性は、わたしの顔を見て、面倒くさそうにこんな風に言いました。

『CDはプラのケース入りの物のみを受け付けていますので、お持ち帰りくださって、可燃ごみで出して下さい』

『最終の処分は分別しないのですか?』

とわたしの問いには答えず、

『ともかく、窓口ではこのイラストの通り、プラ入りのCDのみを扱っていますので』

と主張を繰り返すのです。

 

わたしは、押し問答しても埒が明かないと思いました。また、折角暑い中を持参した意味が失われてしまう馬鹿らしさや、更にはまたそれを持ち帰る気力も失せてしまいました。

 

『じゃあ、CDをプラのケースに入れたらいいんですね?』

わたしは、何が何でも引き渡して持ち帰るまいと決心しました。

 

『まあ、そうです』

と窓口のその男性は、わたしの言葉を驚いたような目つきで答えました。わたしの言葉はおそらく想定外であったのでしょう。

 

わたしは、狭い窓口のカウンターの上で、プラのケースに再びCDを入れる作業をしました。プラのケースの方が何枚か少なく、CDを二枚重ねて入れたものもあり、十分に蓋が閉まらないものも出てしまいましたが、CDがプラケースに入っている物、である要件は満たすことが出来ています。

 

作業を終えてそれをカウンターに積み上げて、

『じゃあ、よろしく』

『お疲れさまでした』

と、あきれ顔で答えた窓口の男性の顔をみてニヤッと笑ってしまいました。

 

■ お役所仕事の極み

わたしは、ケースに入っていようといまいと結局、「固形燃料」となるのだから、お役所仕事の四角四面の対処の仕方に腹も立ちあきれもしました。

もしかしたら、それをその場に打ち捨てて帰ったとしても、まさか追いかけて来はすまいと思ったのですが、それではわたしの負けだと思い、規格に合うようにCDをプラケースに入れる作業をしました。

 

しかし、昔に比べたらだいぶ行政サービスも改善されましたが、特有の役人の凝り固まった対応には改善の余地は十分にあると思われる出来事でした。

胸を小さく見せるブラ

 

画像出典:楽天市場


男性には無い女性の性徴としての一つに、胸のふくらみがあります。

女性は、それを気にします。小さすぎると思ったり、大きすぎたりするのに困惑の仕方も気の毒なくらい。

胸のふくらみが小さい人も一つの悩みなら、人並み以上の場合も同じです。

 

ブラには、小さい胸の人用の補正するようなものがありますが、逆に大きい胸の人用にもそれがあるのを今般、始めて知りました。

 

「胸を小さく見せる」ブラだそうです。

 

ネットの広告を偶然に出会って知ったのです。求めて知ろうとしたわけではありません。

胸の小さい人が中央に寄せるようにしますが、胸の大きい人の場合はその逆で、左右に分散させるタイプの様です。詳しくは見ておりませんが。

 

■ 妻

わたしの妻は俗にいう「巨乳」で並外れています。

そのせいかあまり胸が大きい女性が好ましくも気にもなりません。妻は、どこかのデパートの特大サイズのバーゲンには出掛けて行って、買っているようですが、そういう時しか安くて良いのが見つけられないのも困ったことでしょう。

 

娘は妻とは正反対。

 

ま、わたしの身長は今更ですが妻よりは5㎝、娘とは7㎝小柄。

「金も要らなきゃ名も要らぬ も少し背が欲しい」

っていう、漫才トリオのギャグの通りです。

演歌は北が好き?

画像出典:UTATEN

演歌でもヤクザ映画でも何というべきでしょうか。

「北」へ流れるとか、「北」に向かうというフレーズが多く日本人は好きなようですね。北と言っても無論、北朝鮮の事ではありません。「そんな事、当たり前だ」と怒られる方、事前に悪しからず。

 

「北」が好きなのは、例えば昔の日活の西部劇風の映画の最近見た作品の舞台は北海道なのに、主人公が最後に、これからいずこへ?

と聞かれたりすると、

「北へ」

などとキザなセリフを切ったりします。しかし、北海道は確かに広いけれどの北の端は海ですし、アメリカの西部の様には行きません。別れて来た人に数年後にひょっこり北の端で会うかも知れないのです。

 

それでも、その映画を観て

『カッコいい』

など思えたのは、壮大なアメリカの西部開拓史の様な舞台が一般的でなかったからでしょう。そのうちに、日本映画では段々北へは少なくなりはしましたが、歌、特に演歌は相変わらずです。因みに演歌の始まりは明治の自由民権運動政府批判の演説時の演説歌(えんぜつか)です。

 

日本人は何故、「南」へ流れるという言葉を口にしないのでしょうか。

北というイメージには、寒さや人が少ないなど何かそこには、生きるのに過酷さを感じさせる。それに、それらがやっぱり寂しさをも含んでいることに、何かしらの郷愁を感じるのかも知れません。

 

郷愁は、捨てがたい魅力があって忘れている事もあるけれども、人の心のどこかに潜んでいて、寂しい時や辛い時にフッと湧き上がって、心を占領したりします。決して、消えてなくなくなることがない。帯状疱疹のウィルの様なものです。

 

反して、「南」に流れるは、およそ「北」に流れるの正反対のイメージしかありませんし、「南」には、開放的で暑く行く末も悲壮感がありません。これでは、ニヒルさも台無しになるのでしょう。

 

であってみれば、別れとか、哀切を感じさせるには「北」と付くことばは必須です。

「北」と言う言葉の付く歌には、思いつく限りでも

 

みやこはるみ「北の宿から」

石原裕次郎「北の旅人」

徳久広司「北へ帰ろう」

森進一「北の蛍」

細川たかし北酒場

さだまさし北の国から

チェリッシュ「だからわたしは北国へ」

千昌夫北国の春

朱里エイコ「北国行きで」

岡崎ゆき「北上川

 

など。

凡そ「北」の付く題名の歌にはこの3倍くらいはありそうです。その多くが演歌、艶歌、怨歌、縁歌です。

歌の題名に「北」がなくとも、歌詞に出てくるものも数多くあります。それらを含めると数は膨大です。面倒なのでここは推測ですが。

 

「北」と言う字を「南」に変更しても、同じようにヒットしたりするものなのでしょうかね。どうでも良いことではありますが、ふと考えたりすることもあります。

 

ロシアへの経済制裁は輸入規制より輸出規制が効果的

 

画像出典:yahooの元記事


ロシアへの西側の経済制裁は効いているのか?

と戦争が長引くと誰しもが思います。先日(8月18日)、ネットで2008年のノーベル賞経済学賞を受賞したポール クルーグマン氏が面白い発言していました。

 

氏の発言の要旨は

「ロシアの経済制裁はロシア産の原油天然ガスの輸入を規制するよりも、ロシアに輸出することを規制する方が効果がはるかに大きい」

と言うものでした。下記はその記事の全文です。(newsYahoo! 2022/08/18)

 

ロシア制裁は予想外の効果を発揮している」…ノーベル賞経済学者のクルーグマン氏が指摘

https://news.yahoo.co.jp/articles/5f7cb78dc995fc70fe9b6762c229ca32b92c51e5/images/000

(なお、Yahoo!の記事は削除までの期間が1週間程度です)

 

 

 

 

 

 

 

Jennifer Sor

 

成る程と思わせる記事ですね。

 

ただ、現状のようにロシア産の原油天然ガスを購入を拒否しても、それとは反対に教授の指摘のようにしても結局のところ、結果は同じでしょう。

物の購入は、出来ない。しかし、原油天然ガスは買いましょう。

と言うのでは、ロシアは早晩、それらの輸出は絞るか停止するでしょうから。

ヨーロッパの国々がロシア以外から調達しなければならない現状は何一つ変わりません。ただ、その他のロシアが輸入しなければならない物資については、更に輸出を絞りこむことは氏の指摘のとおり効果的でしょうね。

人工肛門におもう

 

画像出典:産経ニュース


わたしの義理の姉が入院したという知らせを受けて、見舞いに伺ったのは、今から4-5年ほど前の事であったとおぼろ気に記憶しています。

 

入院した姉は、膝関節が炎症を起こしており、歩行もままならないから、手術を受けるということで検査入院をしたものでした。

 

病室は、中廊下の左右に四人部屋が、いくつも並んだ一つに、義理の姉は居ました。余り見舞い人が来ないせいか、話好きの姉は一緒に行った妻と40分を超える長話をして、わたしは手持無沙汰に聞くともなしに二人の会話を聞いていました。

 

話も終盤の頃になって、どこからともなく何とも耐え難いほどの厭な匂いが漂ってきました。その匂いは、例えれば腸を壊した人のオナラをお尻から直接嗅いだような塩梅で、顔をゆがめて、口を押えたわたしを見て、義理の姉は、

『並びの部屋に人工肛門を付けている人がいるらしいのよ』

と、声を潜めて言って、さらに

人工肛門を取り換える時に、このにおいは起きるそうよ』

と付け加えました。

 

叔母は、日に少なくとも一度はあるらしい、このにおいに慣れたのか平然としています。一体人工肛門がどうしてこのように匂うのか不思議には思ったものの、それ以上の詳細を聞く気にもならず、その話題は腰折れとなりました。

わたし達は匂いを発端を、これを幸いにと病院を後にし外に出て、新鮮な空気を吸うともう先ほどの耐え難い匂いはケロリと忘れて、人工肛門の話もそれ以上に知ることもありませんでした。

 

■ 芸能界では

しかし、その後、ネットで何気なく見た記事では、芸能界には有名な俳優や女優、フリーアナウンサーなども装着しているなどの告白もあり、次第に人工肛門はわたしだけでなく世間一般に注目を浴びるようになりました。

 

なかなか大変な思いで生活をされているようです。

同情よりそういう生活になっても、明るく(外見だけかも知れないが)元気に生きておられるのを見ますと立派だなと思う。

 

しかし、人工肛門という事実は認識していても、殆どの人が見たことは無いでしょう。

そして、それを尚更に見たいとも思わない事でしょう。

『何か大変そうだ』

とか

『辛いだろうな』

と互いが思いはしても、そういう立場に至らなかった自分にホッとするだけです。

 

■ 人工肛門

人工肛門(赤色部分)と排便用パックは、冒頭の画像の様なものです。大腸を実際の肛門を利用せず小腸又は大腸を本人の左下腹部に終端として、体の外に引っ張り出したものです。実際の腸が皮膚に出ていますので、誰であっても赤い色をしています。これは口の中の皮膚が赤いのと同様です。

 

従って、体表の皮膚に引っ張り出された腸は乾燥したり痛みを感じたりはしないようです。ただ、便意を感じることがないので常に冒頭の画像の様なパックをぶら下げた生活となります。このパックを週に3-4度交換する必要があります。

 

パックは人の肌に密着するようになっており、普段の生活では匂いや汚れがもれる心配はないようです。皮膚に密着しているのでかぶれ対策は必要です。

パックの取り外しは、風呂で行います。色々な細かなノウハウはあるのですが、専門サイトではないので割愛します。

更に知りたい方は、リンクを張っておきますので参考にしてください。

https://www.jfcr.or.jp/hospital/conference/total_care/woc/artificial_anus.html

 

わたしが義理の姉の見舞いに行った時の匂いは、体の自由が利かない人であったのでしょう。病床での交換するしかなかった、と思われます。

 

ネット記事で見たフリーアナウンサーの女性は、

『いつも匂いが漏れて人を不快にさせていないか、そればかりが心配だった』

と書いていました。どういう病気でも、それはそれで辛いものですがこのような病気は、人を気にしなくてはならないので、辛さは計り知れませんね。

 

「明日は我が身と思わば今日は大安吉日」でしょうか。