聖護院 京極のブログ

天と地の間に新しいことなし(ことわざ)・・・人間の行動は今も昔も変わってはいない

円高になったら、値上げした分を下げてくれ

画像出典:google

 

日本だけでなくあらゆるものの値段が上がった一年でありました。上がらないのは亭主の株ばかりとシャレになりません。

しかし、アメリカの日本でいう日銀総裁に当る米連邦準備制度理事会のトップ、パウエル氏は、「インフレ抑制を一定の効果が出ており、今はその効果を見る時」として、利上げを急がないもしくは抑制するコメントを出したのは、本日12月2日(木)の事でした(日本時間)

 

インフレが落ち着いたかは、一つの指標だけでは分かりませんが、アメリカの景気が悪くなるのは避けたいところなのでしょう。

 

■ 12月02日(金)1ドル=135円前半

10月20日には1ドル=150円台を付けてから、だらだらと坂道を転げて、12月02日の今日には134円台後半でそれも来週には割れて133円台に進むかも知れません。つまり円高は進んでいます。

 

それなのに来年、商品の値上げを計画しているメーカーも多数です。値上げの原因は勿論輸入原材料の高騰にあります。

しかし、足元を見れば円高に進んでいます。

勿論、すぐさまこれらのメーカの輸入品が円高で値下げが出来る訳ではなく、為替の決済の予約を長期的に結んでいるでしょうから、値上げがすぐさまに解消されるわけではないでしょうが、

 

恐らく、来年は更に円高は進むでしょう。

アメリカの景気も利上げの連続で景気が後退しそうです。そうなると、円高は120円台初めまで急速に進む可能性があります。

そうしたら、メーカーは為替による差額分は値下げするしかないでしょう。

円高還元祭」

「値下げ還元」

何でもよろしい。

 

円安による輸入物価によるインフレに日本は苦しんでおりますが、その覆い(円安)が剥落すれば、ロシアウクライナ戦争前以上のデフレが見えて来ます。メーカーに値下げ圧力は、消費者の替え控えによって、恐らくは高まるでしょう。

 

来年は、物価下落、円高還元を期待したい。

 

京都の北、丹後半島のおすすめ観光スポット

 

 

北の京都観光スポット「丹後半島
画像出典:ヅヅキング



本日は、京都市内以外の京都府下の観光スポット(地)を紹介します。

大方の人が、京都観光といえば京都市とその周辺地域への観光で終わってしまうようですが、京都府下にもいくつかの観光スポットがあります。そのうち本日は丹後半島周辺に限定して紹介したいと思います。

蛇足ですが半島とは三面以上が海に面している地域を指します。

 

■ 天の橋立

日本三景の一つのとして有名な天橋立丹後半島の東の付け根である宮津市にあります。

天橋立は、宮津湾と内海の間にある砂嘴(さし)のことです。砂嘴とは、砂が堆積してできた鳥のくちばしのような地形のことで、宮津湾と内海の間に積もった砂の道のようなものだと言えます。全長は約3.6km、白い砂に青い松が生い茂る人道になっています。

下の画像の上の方の山に登れば、「股のぞき」も出来ます。

 

画像出典:天の橋立観光協会

 

画像出典:海の京都観光園
天気が良ければ「股のぞき」も良し

 

 

■ 森鴎外作「山椒大夫(さんしょうだゆう」の地の宮津市

宮津市は、小さな地方都市ですが、古く室町時代から栄えた港町です。

森鴎外の著作「山椒大夫(さんしょうだゆう」と言う短編の地としても有名です。わたしの若い頃には教科書にも出てい記憶がありますが、或いは、わたしが個人的に求めた鴎外の本の中であったかは定かではありません。

 

また、アニメやコミックでは題名は「安寿と厨子王(あんじゅとずしおう)」としているものもありますが、冒頭の森鴎外の同作品と内容は同じです。また、鴎外は宮津地域に残る古文書の中にあった伝えを元にして鴎外の創作が加わった小説であると言われています。

 

大まかにいえば

旅をする母子三人は、道中で悪質な人買いに騙されて母と姉弟は離ればなれになり、強欲な山椒大夫土豪に奴隷として売り払われて酷使されるなど苦難の年月を送ります。やがて姉の犠牲で、京の都へのがれた厨子王が出世して復讐を遂げるというあらすじです。

画像出典:おうち映画

 

宮津市には、これを観光ツアーを組んでいます。が、今は新感染症で規模を不定期か縮小しているかも知れませんが。

確認して、良ければ、是非。

 

 

■ 伊根町の舟屋

宮津市を海岸沿いに北に進むと「舟屋(ふなや)」で有名な伊根町があります。外国人にも人気のスポットです。

 

舟屋(ふなや)
画像出典:伊根町

 

伊根浦伝統的建造物軍保存地区に指定されており、街中の細い曲がりくねった道を歩くと、磯の香りと長い歴史を感じ取ることが出来ます。

写真のように海際に立ち並ぶ家々。まるで海に浮かんでいるようにも見えます。伊根湾の沿岸にはこのような「舟屋」と呼ばれる建屋が約230軒、軒を連ねています。

 舟屋とは、もともと船を海から引き上げて、風雨や虫から守るために建てられた施設。昔は漁で木造船を使用していたため、それを乾かす必要があったのです。船を収納する一階に対して、二階はかつて網の干し場や漁具置き場として使われていました。二階のつくりも今のようなしっかりとしたものではなく、板を渡しただけの簡単な構造のものだったようです。

 

■ 与謝蕪村、与謝野礼厳、与謝野鉄幹と晶子、高浜虚子の故郷与謝野町

宮津市の西に与謝野町と言うところがあります。「与謝野町」の「与謝野」を聞けばあるいは文学好きな人なら、もしかして「与謝野鉄幹と晶子」かいな?あるいは、「与謝蕪村」?

 

と思われるかも知れません。

それは図星であると同時に文学通(つう)の人と言わねばなりませんね。この辺一帯が文学と文芸の地です。与謝蕪村俳人として、つとに有名ですし、高浜虚子も知る人ぞ知る俳人で、蛇足ながらわたしの遠い師匠でもあります。

与謝野鉄幹と晶子
画像出典:産経新聞

 

与謝野礼厳は与謝野鉄幹の父であり、文人でもあります。鉄幹と晶子は度々この地を訪れ、歌碑も分散してはいますが残されています。それを巡るのも楽しみかも知れません。また、江山文庫と言った展示場でもこれらの人々の功績を展示しています。

与謝野鉄幹は、「人を恋うる歌」の歌詞の作者としても有名です。「人を恋うる歌」と聞いても直ぐには分からないかも知れません。この歌詞ならいかがでしょうか。

 

妻をめとらば 才長(た)けて 

みめ麗(うるわ)しく情けある

友を選ばば 書を読みて

六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分の熱

 

ならわかって貰えるでしょうか。今の若い方にはそれでも難(かた)いかも知れませんが。

 

与謝蕪村(よさぶそん)は俳人。当時にこの地に庵を結んだようです。江戸時代中期の生まれです。与謝蕪村が評価されたのは、明治になって正岡子規らによるものです。放浪の人生でした。

初雪の 底を叩けば 竹の月

などいかがでしょうか?下駄の雪を竹に叩いて、払い落したら、竹の間に月が出ていた。と言った解釈でしょうか。

 

 

■ 日本鬼の交流館

「日本鬼の交流館」は京都府福知山市(旧加佐郡大江町)の大江山麓にある鬼伝説をテーマとする博物館。

大江山には3つの鬼伝説が残されています。この伝説を"町おこし"の起爆剤として活用すべく、廃坑となった銅鉱山の跡地に1993年(平成5年)4月に開館しました。 同地域には、一条天皇のころ(986~1011)大江山京都府北西部丹後山地の主峰)に城を構え平安京を脅かしたという鬼王となった、「酒呑童子」の伝説も触れられています。

 

この地域は、都に劣らない文化の栄えた土地でもありました。二度ほど訪れた記憶がありますが、今はその面影を伺うことは出来ませんでした。

画像出典:大江町Google

 

■ 丹後古代の里資料館

資料館のある地域には古墳が数多く点在しており、資料館にはそれらの資料が多数収蔵されています。埴輪、銅鐸など。丹後半島は古くから栄えた地域だったことが知れます。広い敷地には竪穴式住居も数棟設けられています。

画像出典:同館資料より

 

ここに展示の銅鐸の種類は数は、これまでわたしが京都以外の地で見て来た同時代のやそれに近い時代の中にあっても決して引けを取らない規模です。

紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作、使用されたそうです。鐘の機能のほか、豊作への祈願の行事にもつかわれたようです。

 

その他にも、幾つもの見どころがあるのですが見て回るにはどうしても、車が必要でしょうね。しかし、田舎の町でもあり、混みあうようなことは殆どありません。が、距離は離れているので、丸一日を御譲り下さい。

 

 

 

ドローンによる戦争

 

 

画像出典:アムネスティ


戦場での兵士の一番の防御上の弱点は空にあると、ドローン攻撃を受けて逃げ惑うロシア兵を見ていると改めて認識を深めました。それ故、戦場では制空権が無い方が、敗者となるのは間違いないでしょう。

 

■ ネットで戦場の様子を配信するチャンネル

ネット観戦しています。観戦と言っても、サッカーや野球の話ではありません。

それはは、ロシアウクライナの戦争の戦況をウクライナの放送局が流している、いわば戦場の実況中継なのです。わたしは、こうした放送を流す二つのチャンネルを知っています。偶然に見つけたものでした。もっと他にもあるのか、これだけなのかは分からない。

 

無論、わたしはロシアとウクライナの両国の言語を知りません。しかし、ウクライナ側が戦争のシーンやウクライナ兵士の動きを見ておれば、言葉が判らなくても大体理解できます。戦場では戦果は多少の誇大で報じられ、それを担保するために、攻撃破壊のシーンを華々しく動画配信を行うものです。

 

これはウクライナ側が作成した動画の中での光景ですが、反転してロシア側にも同じことが行われているにちがいありません。

 

■ ネットで観戦

中でも、兵士の動きをドローンが見張り、そこに攻撃を加える動画には心が折れます。それを見ているわたし自身の冷酷さにもですが。

ドローンに組まれたカメラと小型の爆弾が、戦車や戦用車両に頭上から破壊する様子、モグラが掘ったかの様な曲がりくねった塹壕の兵士の動きの様子など殆ど滑稽な位に丸見えです。また、木立の茂みに隠れていても同じです。

 

丸見えの兵士に向けてドローンから爆弾の投下が行われ、傷つき倒れる。仲間が駆け寄って、そこから遠ざかろうとするところにも容赦のなく爆撃される。或いは建物の中に逃げ込んでも、その建物の座標位置をドローンが特定して、遠くから高性能の榴弾砲で狙い撃ちになる。

 

それは、まさにテレビゲームかと目を疑う光景です。

 

確かにロシアのウクライナの軍事侵攻はには責められる事ではあります。しかし、それは国家の指導者たちの思惑から出たことで、多くのロシアウクライナの国民は何より平和を願って日々を暮らしているはずです。

 

そうした中で、丸見えな塹壕の中で逃げ惑うロシア兵にも、そこにドローン攻撃を加えて死傷させるウクライナ兵にも相手に対する個人的な恨みはないでしょう。その場にいないロシア兵が非人間的な行為をウクライナ人にしたという情報は、目の前の直接には無いロシア兵に憎しみを持ってしまう。

それなのに相手に死傷させてしまうしかない。相手をやらなきゃこちらがやられる。それが戦争だからかも知れません。

 

しかし、負傷したり武器も捨てて逃げ惑う兵士に容赦のない攻撃は、必ず憎しみの心をしか残らないに違いない。たとえ戦争が近年に終わったとしても、失った人は還らず、傷ついた体が元に戻ることは無いでしょうに。

 

 

 

 

どの国の人でも同じだな、と思う事3選

画像出典:ゲーム趣味

 

テレビやネットを見ていて、外国の人の日常や、日本に来た彼らのとる行動などを見る時、人間は人種を問わず同じことをするものだな、と思うことがあります。そう思った事の3つを書いてみたいと思います。

 

■ 缶ジュース

一つ目は缶ジュース。ジュースは大抵の場合、液体だけですが、中には粒の入っているものもあります。日本で言えば、おしるこやコーンポタージュなどはその代表例ですね。あ、他にもツブツブのミカンジュースもあります。

 

このいずれかの缶ジュースを外国の女性が飲んでいるのを見ました。テレビであったか、ネット動画であったか記憶は定まりません。その女性はうら若く、欧米系の様子です。日本の誰かが、その缶ジュースの試飲を勧めたものであったのかも知れません。

 

ともかくにも、そのうら若き女性は一口飲んで、ニコリとしました。美味しと感じたのでしょう。続いてもう一度、今度は缶をしげしげと見やりました。それから殆ど一気に飲み干しました。またニコリ。

 

そして、飲み口から中に何か残っていないか缶の中をウインクするような目で覗き込みました。それは、恐らくまだ缶の中にジュースの粒が残っていないかを確かめたのだと思います。わたし達のやっていることと違わないな、とその時も笑いましたし、思い出す今でも笑えます。

 

■ 本

これも欧米系の齢(よわい)80歳近い男性の例です。その男性は、何かの番組のインタビューを受けている様子でした。恐らくテレビであったと思われます。古くて分厚いアルバムの様な綴じものをさして何かをインタビューアーに言っています。左手には老眼鏡。きっと高名な人であったことでしょう。何もそれについては記憶がありません。

 

男性はその綴じものの次のページをめくる時、ちょいと口に手をやって指に唾を付けました。それは、ごくごく自然な所作でした。歳をとると、手のひらに潤いが無くなりますよね。それで、新聞でも雑誌でもページを繰るのに思うに任せないものです。

ああ、この人たちも、おんなじことをするなとわたしは、嬉しくなりました。最近の感性症のせいで、そうした行為は、自他とも避けてしまうものではありますが。

 

■ 服

長袖のシャツの上に、重ね着をする時、シャツの袖が重ね着によって肘近くまで、釣り込まれてしまうことは誰でも経験するところです。従って、その対策として、長袖のシャツの袖口を手のひらと指で押さえて重ね着をするという所作をします。

わたしの見たアメリカのホームドラマの中でも同じことをするシーンがありました。これも、どの国の人でも同じことをするのだな、と自然と笑いが込み上げてきました。

 

わたしも、そうします。しかし、誰かに教わったということはありません。何度も同じ事を繰り返している内に、自然と自ら会得したのだと思います。それとも、誰かの様子を見て同じことをして合点が行ったのでしょうか。

 

恐らく、他にも気を付けていれば気付くような普段の何気ない所作が、人種を違わずあるものだと気づくでしょう。それだけでも、何だか親しみが湧いてくるというものです。

故郷に錦を飾ることもなく

画像出典:studyz

 

「故郷に錦を飾る」や「故郷へ錦を飾る」は一字違いですが、同じ意味あいです。

これらは、出世して故郷に帰ることを意味します。

わたしは、恐らく「故郷に錦を飾る」事は出来ないでしょう。しかし、その前に故郷は衰退しそのものも荒れ果て、村の人口は激減して、あれ程多かった昔の同級生の行方も知れません。同級生は既にわたしと同様に故郷を離れ、その先を今となっては手繰り寄せる糸口さえも掴めません。

 

若い頃には、大志という程でもなくともささやかながら夢や希望がありました。それは、世の中がどんどんと良くなるという漠然とした思いがあったのです。わたしも、一財を築いて果ては、左団扇(ひだりうちわ)で暮らすことも出来るのではなかろうか。

そんな根拠もない希望の様な思いが、何故かあって村を後にしたのです。

 

衰退した今の故郷の村から、故郷の定義をもう少し広げて町に変更して考えても結果は変わらない。地域全体が、地盤沈下のように長い年月をかけて地域の立ち位置を押し下がり続けています。もっとも深刻なのは、若い人がいない事。人がいないのは、仕事がないからです。

 

それはおそらくはわたしの知る限りの同級生たちもわたしとさして違わない立場であるのでしょうか。それともわたしが知らないだけでしょうか。

 

わたしの今は、日々の生活に追われ仕舞いの連続で、年月は密やかな水の流れの様に流れさる。その時の流れの中で焦る心を抱いて空しくあがいている。ただそれだけです。わたしの多くの村の同級生、中学時代の高校時代の同級生は今どうしているのでしょうか?

彼らの中に、大いに出世したという話も聞かない。メディアで見ることもない。息をひそめて、日々の生活と格闘しているのでしょうか。

 

わたしは、かつての同級生に無性にあってみたい気がしてなりません。

 

「すーうどん」

画像出典:クックパッド
「素うどん」

 

田舎の高校に通っていたわたしは、小遣いと言えば山菜を取って来てそれを業者に買って貰う位の事しか稼げませんでした。アルバイトというものが、需要がないので出来なかったのです。

 

高校へは、バイクで通学しておりました。学校も公認されていたので、何も問題はなかったのですが、ガソリン代はそのアルバイトから捻出する約束で、バイクを買って貰った都合、小遣いを他に回す余裕は全くありませんでした。

 

 

■ 「すーうどん」

高校の校門の前の国道を挟んだ向かい側に、田舎風のレストランがありました。わたしは、高校時代の一度たりとも、そこで食べることはおろか、足を踏み入れたこともありませんでした。

 

友達からは、何度も誘われたことはあります。しかし、そこに使う小遣いはないので、何かと言い訳を作って誘いを断っていました。わたしは、そこに入って食べられる友人が非常にそれが羨ましかった。彼らは食べ終わってわたしのそばに来たある時、

『何を食べて来たん?』

とわたしは問うたのです。

『すーうどん』

と答えました。

『そうかー』

と、わたしは言いましたが、その「すーうどん」なるものが何なのかがまるで解りません。わたしは懸命に思案しました。もしかすると、そのうどんには「酢」が入っているのだろうか?わたしのお腹は、酢に弱いので食べられなくてもいい、とも思えました。

 

『いや、それならいらん』

と独り言(ご)ちて、食べられなかった悔しさが紛れたものです。

 

後年、わたしはそれが

「素うどん(すうどん)」である事を知りました。その時のわたしの自身の滑稽さと、知識の無さのわびしさを同時に味わったものです。

 

「素うどん」は具材が載っていない"だしとうどんだけ"のうどんです。店によってはネギの微塵切り程度のものは載せてくれるようです。

そのうどんであれば、わたしは自宅で良く当時食べておりました。それをわたしは何か特別な食べ物と思い込み半ば、あこがれていたのです。

 

 

「もうお終い」は良くなる始め

画像出典:日本の漢字辞典



どんなことであろうと、際限もなく悪くなるということは無く、際限もなく良いことが持続するということもまたありません。

しかし、人はおかしなもので何回か悪いことが、あるいは良いことが続くと思ってしまうものです。それで悲観したり強気になったりしますが、何れの場合にもそれはそう長くは続かない。それは3-5年スパンでの話ですが。

 

例えばいまの円安。1ドル=150円を超え出すと、いろんな知識人、評論家、メディアがそう悲観論を唱えます。しかし、では150円を超えて160円に到達し、それを超えて行くのか?と言えば、そうはならないものです。

 

この度の日銀の円安にドル売りの介入をしましたが、しなくても介入価格辺りがピークであったと思います。今のアメリカの金利高というお題目に従って投機の資金が動いているだけだからです。12月の利上げが決定すれば、直ぐにでも円高に動き始めます。

 

株式でも暴落に継ぐ暴落でもうダメだ、という場面が買い時である事もよくある事です。それは、事の後になって初めて分かる事ではありますが。わたしの何度となく経験したところです。

 

こういう事と人の人生とは違うではないか、と思われる人もいるでしょう。しかし、違いません。取り上げた例も人の営みによって生まれたことに違いないのです。人の人生も人の営みによって生まれたことです。

 

 

■ お終いはドン底に過ぎない

物事は「もうこれでお終いだ!」という近くまで来ると、大抵がその「お終いだ」とはならずに回避に向かうものです。つまり「もうこれでお終いだ!」は、実は、この時が最も深い人生の底である事が殆どです。

例え、「万策尽きた」と思える時でも、まだ道はどこかに残されているものです。そして、真摯にそれを求める努力をすれば、道は必ず開けて後で

『あの時が、わたしのドン底だったんだ』

と思える時が来るものです。ドン底であったと言えるのは、それが過ぎ去って暫くしての事ですが。しかし底の周りには底より高くなる部分ばかり。底はそこでお終いなのです。

 

そういう意味では、過日このブログで書いた通り「あきらめない」は最高の才能に違いありません。

 

「カワイイ」に困惑

 

画像出典:origami.jp

 

妻と娘が食料品以外の買い物に行った時、わたしは二人の背中越しに二人が品物を物色するのを見る。そして二人の片方が

『これ、可愛いな』

と言えば

『ホンマやなあ、カワイイな』

と相槌を打つ。

わたしは、それを見ていて

「どこがカワイイのかわからん」

と思う。思うが口には出さない。出すと

『オッサンには分からんやろな』

とまるで、タイムスリップして来た老人の様に見下されるから。

最近は、カワイイという言葉が乱用されて、ごくありきたりな日用品でも

『カワイイ』

を連発するのを聞く時、一体二人のカワイイはどんな根拠を持って言っているのかわからなくなる。カワイイとは無論「可愛い」であろう。けれども二人の言うカワイイの殆どをわたしは同意しかねる。

 

無論、不同意なのは殆どであっても、二人が「カワイイ」というもの総てがそうである訳でもない。わたしにとっても可愛いと思えるものも混じっている。その同意できる可愛さの基準をもってすれば、二人が日常的に「カワイイ」というものは、とても当てはまらないのではあるまいか?

 

そういう思いがわたしの思考の中でグルグルと回りこんがらがりもつれる。

 

■ わたしのカワイイは?

それではと、わたしも

『これ、カワイイな』

と、手作りの品を手に取って二人に見せると

『どこがー?』

と、頭を横にふる。やっぱりわたしがおかしいのか?それとも、どこに二人のカワイイにわたしのズレがあるというのか?わたしが推測した二人の「カワイイ」の基準であろう感覚で選んだものであったのに、にべもなく否定されると、センスが解らないのはどちらなのかますますわからなくなる。

 

 

 

小学生二人の会話

画像出典:ニコプチ
本文と直接関係はありません

 

最近の小学生って、何というか垢抜けていますね。わたしの子供の頃とあまりの違い様に唖然とします。言うこともしっかりしていますし、着ているものも小奇麗。洟など垂らしている子は、見たことがありません。

 

わたしの家の前が通学路になっていて、朝夕には元気な声が聞こえて来ます。コロナも一段落したという訳でしょうか。

昨日はこんな会話をしておりました。

『ねえ、山崎君の家って、お父さんサラリーマンなん?』

『そうらしい』

『そうらしいって、どこに務めているん?』

『それは、言えんな。個人情報やさかい。なんぼ田中君やかて』

『そうか、、、そんならええわ』

で話はあっさり終わり。個人情報云々の返答を受けた子もそれに異議はなかったから、理解しているのであろう。二人を見るに小学生中学年らしい。

 

わたしは、思わず声を上げて一人笑いました。この会話は文字にして起こせば大人の会話としても不自然さがありません。個人情報って分かってて言っているのでしょうね。家で両親が子に諭しているのかも知れません。

 

しかし、こういう話をする小学生が実に珍しいという訳ではないのです。小学生の女子の話でも話題こそ違え大差ありません。

『あんたの着ている服、かわいいな』

『そう?安物やで。○〇で買ったんやさかい』

『え、あそこで。ふーん、駅前のあそこやろ』

『せやでえ。掘り出し物やろ?』

『すずちゃん、背高いし、綺麗やから似合うわ』

『ホンマ?有難う』

『えへへ』

マジマジと相手を見ながら、羨ましそうな視線を相手になげかけながら歩く女の子も、なかなかのいいセンスの服装。

わたしの時代は、お下がりばかりであったのを思い出しながらただ苦笑するしかない。

アルバムの中の彼女

画像出典:いらすとや



今わたしの手元に薄い中学時代の卒業アルバムがある。それを開くと懐かしい。わたしにもこんな時代があったのだ、という思いが、それはしかし帰ることのない過去の事であるという二つの事実とが入り乱れて胸が押さえ付けられたような息苦しさを覚える。それは、実に切ない。

 

その心境は若山牧水

「かたはらに 秋ぐさの花かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」

歌の気持ちに似ている。古城を前にして詠んだ歌だが、それには「詫び」の世界があると思うから。

 

■ アルバムの中の彼女

そして、クラスの集合写真の中の最後列にいる一人の女性徒を見る時、胸は高鳴る。ひそかに心寄せた色白で美しい女性徒であった。うりざねのふくよかな顔立ちに、はっきりとした目鼻立ち。体を少しひねって顔を正面に向けて他の女性徒と共にすっくと立って映っている。

 

一方で、わたしは最前列で陽の光に顔をしかめて映っている。なんてこった。

 

殆ど会話をした記憶はない。登下校で一緒に成ることも無いままに、未熟なわたしには言い寄る術がなかった。ただ遠くに燦然と輝いている憧れの人のまま時は過ぎた。

今のわたしがあの頃のわたしであったら、或いはそれ程の遠さを感じず近づけたであろうに。

 

今は、どうしているであろうか。

「花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ」か。

それは知る由もないが、知らない方が良いであろう。恐らくはあった時の幻滅を感じずに済むだろうから。